教えることは学びとなる
2022-01-10
字義「教」=「さとす・みちびく」また「使役」=「AをしてBせしむ(教えてAにBさせる)」の意味
語源に「孝」=「教えるものとならう者とのまじわり」
日常の中にもふとした教訓を見出すことがある。いま小欄を書こうとする前には、2階の書斎までカップに入れた一杯の珈琲を運ぶ。難関はもちろん階段であるが、片手は手すりを掴み一段一歩を確実に上がりきる必要がある。その上る「一歩」を疎かにすると躓いてカップの珈琲を溢してしまう経験が、僕にその行動を教えてくれたことになる。「経験に諭され・導かれ」た後に「我をして一歩一歩を確実に登らしむ」ということになるだろう。「教」の文字そのものから学ぶことは少なくない。冒頭に書いたような字義が基本的にあり、「戒め・諭し」や「命令」の意味もあり、「教えられる・教わる」の意味もある。小学校で習う漢字を、ただ知っているからといって漢和辞典を引かない手はない。引いてみるとまさに「教え」と思われる情報が満載である。漢字一字一字には「物語」があり、その情報量を存分に活かした漢籍・漢語を大陸から輸入して融合させていくことで日本語は成長してきた明らかな歴史がある。
高校教員だった頃は、漢文の授業が得意だった。前述したような日本語の構成要素としての漢語を意識させたり、「やまとことば」とどのように意味の微妙なズレがあるか、などを問題意識とすると生徒らも大変に興味を持った。なぜ「返り点・送り仮名」が漢文には付されているのか?ということを強制的にパズルのように空欄に番号付けて教えるのではなく、言語形態上の語順の異動があり、それを見事に和文で読めるような「みちびき」を示したのが訓点であるという立場で教えると、生徒らの漢文の読解力は飛躍的に伸びた。「共通テスト」も近い時期だが、当時の「センター試験・国語」の「漢文」分野の問題は「満点50」を目指せと生徒らに向かいよく口にしていた。それはただ「入試」として高得点を上げるのみならず、日本語の構成・漢字の字源・訓読語の流暢な響きが文語文に与えた効果・難解漢語の意味の推測など、日本語を運用する際にも十分に役立つ内容であったと自負している。「教え」とは、目の前の試験のためのみならず。我々が豊かな言語生活者として生きるために「国語」という教科があることを、忘れてはならない。
母へいささかの「教え」をしていて思う
「教」の文字には「孝行」の成分が入っていたではないか
母への助言で僕自身が多くを「学んでいる」ことに気づく。
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