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誕生日に何を祝はむ

2022-01-07
日本では明治以降の風習として
「年越し」の「数え歳」と併用されながら
その生誕がなかりせば

「誕生日」をどのように過ごすか?人それぞれに個人差が大きいだろう。日本では古くからある風習ではなく、明治以降に西洋文化の影響を受けて徐々に祝うようになったものであるようだ。この度出版した著作では主に明治以降の日本の「クリスマス受容史」を短歌を素材に綴ってみたが、概ね「キリストの降誕祭」であるという意識が社会全体に風習となることはなかった。だが考えてみると、「誕生日」と「クリスマス」には家庭などでケーキを買って歌を唄って祝うという共通点がある。決して「和菓子」ではなく「ケーキ」なのは、明治以降の西洋文化への憧憬を如実に反映しているのだろう。もとより日本では「年越し」の風習がある、「数え歳」ではそこで全ての人が年齢を加算し新年を迎えられたことを祝う。蕎麦を食べるのも「長く」にあやかって「長寿」を祈るため。時代とともに元来の意味はまったく忘れ去られて、食べ物にその残影が見えるという文化のあり方なのだ。

父が誕生日を迎えた。僕自身が若い頃から両親には長生きして欲しいと願っていたが、余生をともに宮崎で暮らせることに感謝しなければならない。幼少期に戦争を体験した父から聞いた話として、「機銃掃射を受けたことがある」というのは実にリアルに僕自身の命の有無に関わる問題として心に刻まれている。もしその戦争の狂気が幼少の父の命を奪っていたら、僕自身の命もこの世に存在しなかったのだ。そう考えると「誕生日」のみならず、その後に長く健康で生きて来た父の存在そのものに心より感謝せねばなるまい。ささやかながら、自宅周辺の地域で一番父が美味しいと思っているレストランに出向いた。好みとしている「エビフライ&魚フライ」のセットを時間をかけてゆっくり食べる父の姿に向き合う幸福を感じた。この日は叔母たちからも電話をもらったと言うが、食事中に孫である僕の姪っ子から電話がきた。他のお客さんもいないのでそのまましばし話していたが、姪っ子の今後の幸福を祈ることばかりを喋る。しかし、これが「誕生日」の意味なのだとふと思った。僕や妹のみならず、姪っ子も父の存在がなければこの世に命を貰い受けなかった訳である。ささやかに家族がつながること、「誕生日」はそのような祈りと感謝の日なのである。

「生きるということ いま生きているということ」
その日の意味を問いつつ自分なりに
「命ということ」


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