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短歌は手紙ー祖母へ捧げる歌

2022-01-05
「物干しにぼくらのシヤツを踊らせる朝風と歌ふ祖母の鼻歌」
(『心の花』2022年1月号「メール題詠」1位入選歌)
あの頃の祖母へ捧げるありがとう!

年末年始の休暇中にゼミ卒業生とのLINEのやりとりにより、僕が「メール題詠1位」であることが知らされた。『心の花』誌の送付先を大学学部にしている関係で、長期休暇になると事務の業務が始まるまで受け取れないという年に1回の不都合がある。(月初の到着なので盆は影響なし)だが郵便を「待つこと」も、旧来からある不可欠な「滞空時間」であると思っている。オンラインによる仕事始式が10時、学長の新たな年への思いが語られた。中でも「宮崎での立ち位置を各自が認識する」という部分があったが、ぼくの場合はまさしく「短歌県づくり」に連携した研究・教育・地域貢献をすることで、自身の実作も大きな柱である。三が日を終えて湧き上がった思いとして、今年は他者へのメッセージを大切にしようかということ。早速の実践として、この日は手書きの手紙を2通書いた。忙しい時はPCでタイプし印刷した手紙を送る場合もあるが、やはり万年筆で手書きする手紙は何物にも代え難い。他の郵送物とともに午後にはポストに投函したが、「滞空時間」を経て先方に届くその時を想像しつつ封書の封を閉じたり投函の瞬間がたまらない。

俵万智さんが諸々の機会に語るのが「短歌は日記ではなく手紙」と云うこと。「日記」は自己満足で誰にも見せず、手元で自己本位なことを書いても何ら問題はない。しかし「手紙」は大きく違う、お送りした相手がその文面を読んでどのような思いになるか?を常に想像しながら文章を作り便箋に書き付ける。いわば、自己本位な視点では短歌にならないということ。この点は理解していても、なかなか実践が難しい。相手の気持ちを思いやる、という社会では常識的なことが昨今忘れられていることを思うと短歌の社会的価値は実に大きい。さて冒頭に記した入選歌について補足しておこう。「祖母」とは、「ぼく」が高校生の頃に同居していた母方の祖母のこと。ほとんど家族全員の洗濯を一手に引き受け、4階部分となる屋上の物干しに干していた。当時僕の部屋は屋上の「離れ」であったため、その際の「鼻唄」をよく耳にしていた。選評では「祖母を思いやる作者の、清新な気持ちが爽やかな朝風と重なる。」と評されており、思いが伝わっており誠に嬉しい。亡き祖母へ捧げる歌であるとともに、当時を振り返り感謝を込めて母にも贈る手紙のような想いで作った歌である。月詠8首とともに「メール題詠」への投歌を続けて来たことが報われた。まさに「メール」で送るということそのものに、「手紙」という「装置」が隠されてもいる。

読んだ人がどう思うだろう?
短歌を作れば思いやりが育まれる
そして「言霊(ことだま)」ゆえにきっと祖母にも届いたことだろう。


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