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人の目とことばの働き

2021-12-30
「人の目というものは、おもしろいものだな。
 近くは鼻のあたまでも爪の先でも見えるし、
 遠くは水平線も、いや、月や星までも見える。
 ・・・・・・・・」(『セフティ・マッチ氏の炉弁談話』より Byほぼ日手帳2022)

いつの間にか来年が視野に入ってきた。新刊著書に記したことだが日本の場合、クリスマス・イブの盛り上がりから一気に年末年始へのレールが敷かれる。今年は特にイブが金曜日でその週で冬季休業には入れたこともあり、個人的に「リフレッシュ休暇」を取得したこともあってその感覚が増幅した。思うことは今年を振り返って良かったこと・幸せを感じられたこと・交流して笑顔になれる人々のことなどを思い出して寝入るようにしている。その出来事や人々のありがたさが、さらに来年への大きな希望を灯してくれるからだ。論文執筆・「国文祭・芸文祭みやざき2020」への参加・オンライン学会の主催・編集委員としての仕事・そして著書出版等々、あらゆる分野でお世話になった人々のお顔が浮かぶ。充実感はまた心身の充実ももたらすのであろう。先週の人間ドッグの結果も、数年前よりも大きく改善された点が多かった。今年見た風景をあらためて胸に刻みこみながら、こうしてことばで反芻をする日々である。

冒頭の引用は、新年の手帳を購入し送られて来た箱に記されたことば。僕ら「人の目」というもの不思議を説いている。引用部分は「具体的に見える景色」が記されるが、この後があって次のように続く、「みにくいものも、きれいなものも。ときには、かくしごとまでも、おんなじ目玉で、みんな見えてしまうのだ。」とある。と考えると誠に僕らの「目玉」は高性能だ。だが考えてみれば、「鼻のあたま」は目から近いのによくは見えず、「爪の先」まで注視することは稀だ。「水平線」も意志を持たないと見る機会は稀だし、「月や星」もその状態や見え方まで意識するかしないかは人によって大差がある。誰もが見えているが「どのように見ようとするか」によって「見えるもの」は大きく違う。さらに「みにくいもの・きれいなもの・かくしごと」の場合は、見えた光景のみならずそこに「ことば」がないと意識できないことである。こう考えると、人は「ことば」によって喜怒哀楽が生じていることがわかる。「ことば」をもってして意識が働くために「近くも遠くも」見える訳である。さらに目は耳ともそして鼻や口や肌とも連携する。寝入るときには「きれいなもの」のことばを意識するが、日常では「みにくいもの・かくしごと」も自ずと見えて来てしまう。しかし、それは避けて通れないのならば、「ことば」で見方を変え、「ことば」で「きれいなもの」に転じるように他者にも伝えなければならない。「待つこと」という「ことば」を著書で提示した身として、あらためて「目」と「ことば」を考えている。

目で見て心に映し自分だけの「ことば」にするのが短歌
「きれいなもの」だけを描けず、「哀しみ」も「寂しさ」も描いた近現代短歌
社会の変革でむしろ大切な「目」を失っている現代。


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