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クリスマスにこだわりがあるわけ

2021-12-08
幼稚園でみた紙芝居『マッチ売りの少女』
「おはなし」への共感と驚きを忘れず
現園長が再演してくれたことも

今回出版した新刊著書は「クリスマス」を横軸に「待つこと」を縦軸にし、素材は「短歌とJ-pop」という発想で一冊にまとめた。なぜ僕が「クリスマス」本を書くことになったか?Web検索をすれば「クリスマス」「恋歌」あたりで比較的上位に顔を出す書名である。発想の元は、2年前の「国文祭・芸文祭プレイベント」としての「まちなか文化堂」での出前講義。師走の時期に翌年の本番前に「身近に文化を」という発想を大切にすべく骨子を制作した。調べていくうちに「日本のクリスマス受容史」は特徴的で面白いことがわかってきて、本来はつながりのない「恋」との関係性が強調される時代があった。80年代、ちょうど僕自身が若かりし頃でそんなクリスマスの最中を過ごした経験も大きい。「狂瀾のクリスマス」の根源が「日露戦争勝利」の社会的風潮に始まることなど現在は気にも止めない人が多いが、明治以降の西洋文化の急速な受容と混沌とした融合のあり方については意識を持って向き合うべきとあらためて思う。たぶんこれまでの人生の諸々の機会に感じてきた西洋との関係の矛盾は、このあたりに起因していることも少なくないのだろう。

上梓してあらためて思うのが、僕自身の中にある「クリスマス体験」である。幼稚園の頃に12月になると必ず園長が演ずるように語る『マッチ売りの少女』の紙芝居が園の売り物であった。紙製の犬や通行人が動いたり、その大人の背丈ほどもある大判な絵の中で現実のように物語が起動した。特に「少女」がマッチを擦る場面では、紙芝居の紙面に実際の発火薬が貼られていて、園長が本物のマッチを擦って火をつけるのであった。現在の世知辛い世の中なら、「危ないから避けるべき」などの他愛もない意見が保護者から出そうな展開だ。しかし、あの「マッチの灯」は物語中の「少女」に夢をもたらしたのと同様に、園児である僕らの夢のように脳裏に焼き付いた。その後の人生の節目においても、いつもこの「灯」で未来を照らしながら歩んできたような経験である。あらためて考えれば「マッチの灯」はあくまで瞬く間の「希望」である。僅かな風にも消されてしまう脆い夢であると、冷静に考えれば思う。だが人はこうした「希望のマッチの灯」を忘れてはなるまい。小さな灯のような僅かな希望であっても、それを明日につないでいくのが人生ではないのか。

当時は「先生」であった現園長に
新刊書をお送りする
幼少時の絵本や紙芝居は、やはり無意識にその後の人生を支えるものである。


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