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短歌と回想と演じる虚構の効用

2021-12-01
過去は変えられる
言葉にすることで消化する作用
小説のように映画のように虚構の主人公を演じる効用

幼稚園の頃、絵本や紙芝居を見るのが好きだった。園長が演じる『マッチ売りの少女』こそが脳裏に今も焼きついている。それは単純な紙芝居ではなく、路地から紙製の犬が動いて出てきたりリアルな立体感あるものだった。特に少女がマッチを擦る場面では、現実にマッチの発火薬が紙芝居紙面に貼り付いていて、園長がリアルにマッチに火をつけた。その物語と現実が入り混じる感覚は、むしろ僕自身が紙芝居の虚構空間に置かれたように思う体験だった。それ以降、絵本でもテレビ番組でも、主人公とか自分が思い入れをもった人物になりきって観る習慣ができた。そのため登場人物が怒られそうな状況になると身をかがめたり、嬉しく晴れやかな時は笑顔になったりするようになった。それこそザ・ドリフターズの「8時だよっ!全員集合」などのコントでタライが天井から落ちてくる定番物があったが、かなり頭を痛そうに押さえる自分がいた。この登場人物と同化するという作用は、のちに詩歌や小説を読む際に大いに役立った。

短歌を詠めば「現在・過去・未来」を変えられる、そんな趣旨の発言を歌人がしているのを短歌誌で読んだことがある。短歌は「1人称の文学(創作者の私生活を題材とする)」と思われている節も多いが、小説や絵本などと同じように人の想像力の上に成り立つものだ。言葉の世界が綾なす虚構によって、時間も空間も喜怒哀楽も自由に羽ばたくことができる。既に古典和歌でも法師が女性の立場になって、来ると約束をした彼氏を一晩待ち続けて夜長の朝に有明の月が出てしまったと嘆きの気持ちを詠うなどの一首が見える。(「いま来むといひしばかりに長月の有明の月を待ち出でつるかな」素性法師)男が女の立場で歌を詠むことで、違った自分を演じることができ「女の立場」を理解し思いやることができるようになるだろう。『古今和歌集』の仮名序に記された「男女の仲をも和らげ」という和歌の効用は、こんな作用にも該当するのであると僕の新刊著書でも主張している。素材を取材する契機は明らかに「私生活」の中にあるのだが、言語世界の想像力は可能性無限大であることを知るべきだ。

相手の立場を思いやる想像力
絵本と紙芝居と文学でしか育めない大切なもの
社会がそんな「詩と愛と夢とロマンス」を失ってきた代償は大きい。


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