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遊びで自分を曝け出せ

2021-11-26
「冗談だよ、真に受けるなよ」
真面目と遊びの間に何がある
自己開示をして無理なく健全に豊かでありたい

人々にとって学校ひいては社会は、基本的に「仮面(ペルソナ)」をかぶっている。自分の思いの丈をどれほど開示していいものか?公共の仮面をかぶりながら、次第にその匙加減を学んでいくことになるだろう。だが所謂「良い子」の「仮面」をかぶるとそのまま習慣化して、なかなか本質的な自分とのズレが生じることになる。すると「仮面」の自分ならどう考えるか?と思い悩み作文も書けない、感想も言えない、運動・芸術のパフォーマンスもできない無機質な人間になりかねない。「自我」との断層が次第に激しい誤差となってしまい、「仮面」を剥いで暴発する事態にさえ至る。昨今、社会のあちらこちらで頻発する凶行な事件の多くが「普通の人」だったと周囲が印象を語る人が当事者である場合が少なくない。「普通」の「仮面」をかぶりながら、心の中で大きなストレスを感じジレンマに陥っている果ての悲しき所業なのではないかと想像する。

「多様でよい」と言いながら「正解」を求めさせる学習は、こうした「仮面」の肥大化を助長する。学びには「遊び」が必要であり、「冗談」を覚えるのも「学校」における大きな学びであるような気がする。だが「冗談」でも「冗談にならない」ものがあり、その質そのものを学ぶことも重要である。「ハラスメント」が多様に指摘される社会においては、この点も欠かせない視点であろう。ここ数年、担当の「文学史(中近世文学)」において、「連歌会(連句)」を実施している。いかに連想豊かに言葉を紡いでいくか、また素材をある程度の自己開示を持って提示していく必要がある。まさに「正解主義」な頭であると、なかなか付け句が出てこない。昨日は実施前に「これは遊び心が大切だ」という点を強調した。すると「クリスマスは一人ぼっちでバイト」とか「彼女ができて紅葉を背景にツーショット」といった趣旨の付け句が次々と現れた。周囲もそれを「笑い」で受け止め、和やかな中でクラス16名二周りの連歌会が実施できた。前週には室町期の「式目(連歌のルール)」を学んだことにこの「体験」から回帰しつつ、各自の思考を機能的なものとして保管しておいてもらいたいと願う。

学びの中に「遊び」を
言葉遊びの中に文学がある
そこに自己開示という和やかな心が表われる。


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