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ジレンマを克服する力ー見直しと変革と

2021-11-23
OECDラーニングコンパス
「変革を起こせるコンピテンシー」
学習伝達とは自身の学習の調整力である

オンライン開催された大学祭後の休講日にあたり、FD/SD研修会が開催された。ここ数年は前年度の教育活動表彰を受けた先生方の日頃の教育実践に関する報告が為されている。2年前には僕自身も発表をさせてもらったが、「説明しては動かぬ学び」と題して講義では指導者が説明するのではなく、学習者が脳のエクササイズができるように仕向けることが肝心であることを述べた。上手く説明すれば学習者は理解し成長するという考え方を、まずは捨てることから始めようという講義変革を主張する内容であった。この日も研修会の冒頭に前述したようなOECD(経済協力開発機構・欧州を中心に日・米など38カ国が加盟する国際機関でPISA調査など学力調査を実施していることで有名である)「ラーニングコンパス」の新しい学力観が示された。「知識を得るのが学習」という観念から脱して、「変革を起こせる力」「対立やジレンマを克服する力」というのが肝要であるとされる。自らの行動を振り帰り見直し、自身の学習そのものを調整できる力が求められているわけである。

石川啄木の小説『我等の一団と彼』(1912)に「現在の此の時代のヂレンマから脱れる」という用例が『日本国語大辞典第二版』にあり、意味としては「選ぶべき道が二つあってそのどちらもが、望ましくない結果をもたらすという状態。八方ふさがり。」とある。同辞書項目(1)には論理学の議論のことであるとされ、鴎外の用例も引かれていることから明治期に使用されるようになった外来語の類だということがわかる。たぶん封建社会の江戸時代までならば、「八方ふさがりで仕方ない」と泣き寝入りしていたことが、西洋化近代化が急速に進んだ明治には「克服できる可能性がある」という新たな思考に芽生えたゆえに使用されるようになった語の一つではないだろうか。「二極」で考えるから「八方ふさがり」になるわけで、「第三極」を設けるべく変革をさせる、ジレンマ打開を目指した振り返りと見直しこそが一元論に縛られない近現代の価値でもある。だが啄木の小説から110年、社会は成熟したのかといえばむしろジレンマの坩堝のような21世紀が眼前にある。とりわけ経済・技術革新・開発などの分野での日本の凋落は、世界的視野で見たときに甚だしい。かつては世界を席巻した自動車産業もTVなどの家電製品でも、世界から取り残されやしないかという状況が明らかだ。教育の分野で「変革」を好まず、「対立やジレンマ」に対する経験をさせないことばかりに躍起になり、数字上の目標を単純に目指す空転した脳の使い方のみに偏向した実情を変えて行かねばならないと痛感するのである。

現実に直面して打破する力
ジレンマから逃げず第三の方向性を開発すること
小中高大、まずは指導者自身に大きな変革が求められている。

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