夢を夢につなぐ(その1)
2021-11-21
小さい頃からの夢を叶える現実にぶつかってもその先の夢へとつなぐ
まずは教師が夢を持つことだ
姪っ子は幼少の頃、僕の両親である祖母・祖父らによく水族館に連れて行ってもらっていた。そこで観たイルカショーがあまりにも素晴らしく、大きくなったらトレーナーのなることを夢見た。18歳の岐路に立たされ頃に、叔父の僕は大学進学を勧めたかったが頑なにイルカトレーナーの専門学校へと進学した。在学中に先輩がいるからと僕の住む宮崎にある施設を見学に訪れた。その後、就職試験を受験する段となり、再び僕のところを足場にして見事に採用試験に合格した。今「見事に」と書いたが、困難はまだまだここからであった。就職後は併設ホテルの給仕やベッドメイクなどの仕事が割り当てられ、長年の夢には程遠く厳しい日々を送った。何度かくさってしまいそうなことを言ってよこしたが、その都度に「今を耐えないで長年の夢は実現しない」と励まし続けた。ようやく2年目からイルカ施設へ配置転換され、ようやくトレーナーとしてのスタートを切ることができた。夢を叶えるには、何よりどんな境遇を経験してもくさらないことである。夢は勝手に消えるわけではない、当事者が諦めるから消えるのである。
その後、姪っ子は花形トレーナーとなって施設のショーを支えてきた。この夢が叶った体験を支えてくれた人は多いが、何より高校在学中の指導がありがたかったように思う。世間は高校の進学実績競争のような趣であり、生徒本人の「夢」や「志望」よりも学校が看板にできる数字が欲しいような指導を優先して行う高校も少なくない。だが姪っ子のような夢の叶え方を見ると、偏差値の高い大学に進学することだけで豊かな人生になるとは限らない事例のように思う。2002年に大きな話題となったOECDのPISA学力調査で読解力の大下落、その後には回復したとされているが、依然として問題なのは学力を下支えする日本人の「主体性」「自発的なやる気」の問題ではないかと筆者は常々懸念している。つまり自らの「夢を叶える」という大きな視野で中高時代を過ごすのではなく、「入試偏差値」という矮小な価値観だけに囚われて生きる教育環境そのものが、世界でも高水準の「主体性のない生き方」を育んでいるのではないか。あらためて姪っ子は、夢を追い求めさせてくれた高校の進路指導に出逢えたことで、今の夢の実現につながったのであると感謝している。
「私はこのように生きたい」という志
人生はあなた自身のためにある
夢を夢につなぐ(つづく)
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