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終わりは始まりー校了と連続コマと出版トーク

2021-11-19
新刊著書校了の報せ
通常の講義に会議が二つ
出版トーク企画の相談を進める

『古今和歌集』恋の巻頭に配列された歌は、結句「恋もするかな」が据えられ上の句の「ほととぎす鳴くや五月のあやめ草」という「景」がその心情のあり様を具体的に伝える。夏を待って鳴く「ほととぎす」に情熱的に身悶える恋への連想も働き、「あやめ草あやめも知らぬ」と同音語の反復で「理性も知らない恋」を予感させる歌と読める。つまりこのような和歌の場合、結句は初句に戻り回帰・循環することで拡大した世界観を表現することになるのだ。和歌短歌の多くはこのような構造を持っている。小説でも末文「下人の行くへは誰も知らない。」は、「ある日の暮れ方のことである。」(『羅生門』)と冒頭に回帰して読むのが肝要である。僕たちに「終わりは始まり」だということを教えるかのように。著書刊行を依頼している出版社から、全て校了したとメールの報せが届いた。来月には予定よりも早く、一冊となった著書が仕上がる。万感の思いを込めつつ、この「終わり(校了)は始まり(販促)」なのだと思った。

通常より木曜日は一週間で一番ハードな時間割である。大学院のオムニバスで後期後半を担当しているのを含めて5コマ中3コマ、高校教員時代は普通のことだが「50分×3」と「90分×3」と違うわけであり、高校なら「6コマ分」ほどの感覚である。それに加えてこの日は2コマ分の会議の予定が組まれ、ほぼ隙間のない一日を過ごした。それでも昼休みなどを有効に使い、やるべきことを迅速にこなすことができた。敢えて負荷がかかった方が、集中度が増すというのはこういうことだろう。その間に出版社とのメールと多方面へのメールをこなす感覚は、嫌いではない。「校了」の報せとともに本格的に「始まった」のは、市内の書店で「出版トーク」を開催する交渉だ。思い起こせばこの新刊著書は、「まちなか文化堂」という「国文祭・芸文祭みやざき2020」での出前講義から生まれた一冊である。刷り上がった書籍を再び、地元「まちなか書店」に回帰させねばなるまい。同じく今年のうちに「自選歌集」を出版された伊藤一彦先生とともに、「宮崎」を「恋歌」を語り合い、来場する「まちなか」の方々と宮崎でこそ味わえる文化を噛み締めたい。そんな時間がまた始まったのである。

著書原稿に記したことが再び起ち上がる
学生らの積極的な発表姿勢にも助けられる講義
絶えず視野を広げて広い世界へ向けて「終わりは始まり」である。


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