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前向きと前のめりの違い

2021-11-09
「期待・希い・祈り」をもって歩む
前傾も後傾も倒れてしまっては元も子もない
「常に視野を広く」歩もう!

中学校3年間の担任であり「国語」の教師であった先生が、口癖のように「常に視野を広く」と言っていた意味は、大学に入学した頃からようやくわかるようになった。中学生ぐらいの頃はまさに「前のめり」で、何も見ずに前傾姿勢をとって顔から転びそうな歩み方をしていたのかもしれない。高校に入学すると反対に担任の教師と相性が悪かったが、それだけに「前のめり」を活かして猪突猛進するしかなかったように振り返ることができる。「前のめり」という語を意識したのは、スポ根アニメ『巨人の星』で主人公・飛雄馬の父・一徹が坂本龍馬の言葉だとして「死ぬ時はたとえドブの中でも前のめりでありたい」と何度も息子に教える場面が印象深かったことによる。アニメ画面には、実際に龍馬がドブの中で斬られて倒れこむ絵も出ていたと記憶する。こうした様々な要素の影響もあって、中高時代は「前のめり」であっても次第に志を持った「前向き」に上手く変化させることができ、最終的に大学合格に到ることができたのだと振り返る。

大学では様々な経験をした。恋にも前向きであったが、失恋もしたことで「常に視野を広く」が腑に落ちたのだと思う。文学の上で想像力を働かせることも、世界を拡げることなのだとようやくわかった。ラグビー早明戦を観に行くと、明治の「前へ」というまさに重量による「前のめり」が全面に押し出された姿勢と、視野を広くオープン攻撃をする母校のスタイルを比較して、力任せではいけないことが心の中で巣食った。もちろんラグビーには様々なスタイルがあってよく、引いたらラグビーにならないのもわかる。だが前述した失恋からの学びでは、「視野が狭くては勝負にならない」ことを学んでいたからだろう。その後も「前のめり」の姿勢がまったくなかったわけではない。特に初任校に就職した後は、スポーツの素晴らしさに出会い直し「前のめり」な20代を過ごしてしまった。今思えば、親にもたいそう迷惑をかけたと苦々しい思いも拭えない。就職10年目になって、ようやく本来の意味で「前向き」になれた。再び「学問・文学」に出逢い直したからだ。そこで火が点いた「前向き」が、今ここ宮崎で大学教員をしている原点なのである。

「待つこと」にも「前向き」があることを悟る
熟成してきたみやざきの志で書いた新刊著書
最終校正が大詰めを迎えている。


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