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「教育の成果」投票率ー何もしない沈黙を選択する

2021-11-02
戦後3番目に最低な投票率55.93%
44.07%の人々は「沈黙」を選択している
内田樹氏のTweetに投稿された仮説を考える

今回の総選挙投票率は、冒頭に示した通り。著名な若手芸能人らの「投票に行こう!」呼びかけ動画が話題になったり、事前には上昇する期待もあった。当日の投票所でも、体育館の外まで人々が並び、駐車場には記憶にないほど車が多く停まっていると実感した。だがこのように捉える意識そのものが「希望的」なものだと、自らの実感に感情が大きく作用していることにも気づかされる。終わってみれば戦後3番目の低投票率、その原因は何だろうとモヤモヤした気分が晴れない。10時を過ぎてTwitterを見ると内田樹氏が「なぜ人は棄権するのか?」という問いに「教育の成果」だと皮肉な仮説を立て、子どもたちが「先生が出した問いに正解する」ことが「知性の運用」だと刷り込まれているという趣旨の原稿を書いたことが投稿されていた。学校で先生は「問いを出した後、少し子どもに考えさせてから正解を開示する」わけで、「子どもたちは問いと正解を『セット』で記憶することを求められる。」のだとする。「正解を知らない場合」には「『黙ってうつむいている』のが正しいマナーです。誤答するより沈黙の方が『まし』と教えられる。」などという内容であった。それは「上意下達的組織」つまり会社に入っても同じだというのである。

日頃から内田氏の云う「正解を沈黙で待つ」姿勢を「国語」の上で解消していく手立てを考えていただけに、大変に説得力のある仮説に思えた。内田氏のTweetにも「正解」という語が使用されているが、特に「国語」の場合、それは厳密には「正解」など存在しなくて、「先生の解釈」が存在するだけなのだ。それが子どもたちと違う場合も当然ながらあり得るわけだが、「先生の解釈」と違えば「不正解」とされ納得がいかなくとも訂正を求められ、成績に影響する試験では「先生の解釈」を書くことを余儀なくされる。子どもたちは心の中で「違う」と感じながら、仕方なく幅寄せされた偏狭な「先生の解釈」に従わざるを得なくなる。という経験をすると、どうせ訂正を求められるなら、自分なりの多様な意見など言うのが馬鹿らしくなる環境が自然と出来上がる。この作用は「学校」にとって大きな利点を含むもので、唯一無二の「制服」を着なければならないことや、「2ブロック」の髪型がなぜか禁止されるとか、「個性を露出しない外見」になるべく画一化させておくことが「良い学校」だとして「荒れない」ことに大きく貢献する。こうした教育観のある「学校」で、前述の内田氏が語るように「沈黙の選択」が「刷り込まれる」わけである。それでも「昭和」のうちは「制服」を着ていたにしても、「多様な意見を言う」土壌が高校にも大学にもあった。80年代の「校内暴力」が社会問題化した頃からだろうか、次々と中学校・高校が力で制圧され「多様な意見」は去勢されて来てしまったのだとも言える。既に全国の多くの大学でキャンパス内で主張を叫んでいる学生の姿は見られなくなってしまった。上意に靡くか沈黙を貫くかの二者択一しか若者がしなくなった。こうした「教育の成果」が、投票した人としない人が半々という数字に露見したということであろうか。

選挙速報の最中の若者の通り魔的犯行
時に「孤独」や「沈黙」が「凶行」に至らしめる恐怖を覚える
「多様な意見」を理念だけで終わらせてはならない。


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