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親友とはどんな友だろうか?

2021-10-31
「親友」と呼べるのは
 どんな友だろう?
「したしむ」「ちかしい」「みずから」・・・

小欄などでもそうだが、「親友」と「友だち」はある程度意識をして使い分けている。facebook(社名が変わったそうだが)でもLINEなどのSNSでは「友だち」と称し、時に見知らぬ人から申請があることも少なくない。しかし基本的には「リアル(ネットではない現実)で会ったことがある人」だけに申請許可は限定している。そうであっても多種多様な人々がつながることで、いささかの混乱を感じることもある。研究関係の人もあれば、短歌(創作)関係の人もおり、東京の酒場で出逢った多様な職種の人もおり、高校教員の際の卒業生や野球場で偶然にリアルに会った人もいる。リアルに会っていたとしても、現役の学生・生徒とは申請があってもfacebokの場合は許可しないうようにしている。ゼミなどの学生との連絡は、すっかりメールではなくLINEに置き換わった。(現所属大学就任時はまだ携帯メールであった)ゼミでは共有グループを使って情報を流すが、短歌会では学生グループに僕は入っていない。これはこれで学生のみのグループである方が、健全であるようにも思う。よってSNS上の「友だち」というのは、意識して立場や公私を区別しなければならない。

新型コロナ感染もだいぶ落ち着いてきたが、故郷東京にもう1年以上行っていない。これを考えた時に(東京在住の)誰に会いたいか?という意識が「親友」の「親」が付く尺度であるようにも思う。コロナは人々を個々に分断したのだが、それは人々に「待つこと」の大切さを再考させたとも言えよう。朝の連続テレビ小説の最終回は、医師の恋人と3年半会えなかったヒロインが抱擁を躊躇しつつ笑顔になる結末であった。コロナが社会問題となって1年半の現時点から、ドラマ上の「マスクなし再会」まではまだ2年の月日が想定されているようだ。この「待つこと」の時間の中で恋人関係が維持されること、いや維持には信頼を深める必要もあるように思う。既に1年間行っていない東京で会いたい友、もちろん掛かり付け医・馴染みの理容室・馴染みの飲食店に酒場などが恋しくてたまらない人々がいる。営業という利害を超えて会いたい人、そして仕事や社会的立場を超えて会いたい人、そこに明らかに「親しむ」ということの真の意味が見えるのである。もちろん宮崎でも、行動規制で会食がもうかなり憚られている。なかなか「親友」と語り合う機会もない。すべての利害や体裁を超えて楽しく語り合える友、この間もあれこれ連絡をくれるあの人、いつも助けられる人々がいる。

「親友」と語り合う幸福
人生は人とつながってこそ豊かになれる
コロナは「友だち」の真の意味を炙り出したのかもしれない。


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