血の系譜や魂の原郷ー伝統的性格を考える
2021-10-29
古き良き時代を引き継ぐ『新古今集』の歌風=昔の歌を大切にすること
継承ー短歌の遺伝子といふこと
「君たちが遺伝子(DNA)を感じるのは、どんな時だろう?」学部2年生科目「文学史」で、こんな問いかけから講義を始めた。普段はよく発言をする学生たちは、昼休みの後ということもあるのだろうか?ややキョトンとした表情をしてなかなか誰も答えようとしない。仕方がないので「どうやら君たちの年齢なら、むしろそんな実感を持つことを意識的に避けているのかもしれないね」と助け船を出した。僕が大学生の時を思い返しても、親に似ている言動があったとしてもむしろ意識的に否定したかもしれない。自らが自立する階段を登っている最中であると、「自分は自分」と自我を拡げようとする段階なのだと思う。学生たちには、年齢が進むと「血」を意識する機会が増えてくることを話した。この代え難き自己の身体に引き継がれた「遺伝子(DNA)」、たいていは祖父母ぐらいまでははっきりと辿れる。明治18年(1885年)生まれの若山牧水のお孫さんと親交があるがちょうど僕の親の世代、ということは僕自身は牧水の曾孫世代ということになる。牧水の父母を考えれば、確実に江戸時代となり五代を遡ることになる。そこまで「父母・父母・・・」と辿ると30人の「血(遺伝子)」を僕自身は引き継いでいることになる。
『角川短歌11月号』「うたの名言」欄に「石田吉貞『新古今和歌集全註解』が引用され、佐佐木幸綱が解説している。『新古今』には「現代歌人の歌は半分しかなく、残りの半分は柿本人麻呂、紀貫之、和泉式部といった昔の歌人である。」ということだ。石田の記述ではこれらが「新古今の歌風を語っているもの」と指摘している。鎌倉期となって世情の変革が生じ、古き良き平安・奈良時代の歌を「伝統」として重視し、当代の藤原定家らも「本歌取り」という方法を重視し自らの和歌の中に古歌の「血(遺伝子)」を流すという方法を意識して作歌活動をしたというわけである。こうした歌風(時代)について石田は、「血の系譜や魂の原郷」という表現をしていることは印象深い。平安朝300年で築かれた勅撰集7代の入集歌は含まず、「現代(当代)」の歌風を何十代も遡ることを意識して撰集されたという意識が根付いたことは重要だ。藤原定家の手により多くの古典作品が書写され今に伝わっていることはよく知られているが、「血を引き継ぐリレー」を『新古今』時代は意識的積極的に取り組んだということだろう。令和の現代でも三十一文字の形式の短歌に携わるということは、こうした「血の系譜や魂の原郷」を旅することでもあり、意識無意識に関わらずそれを未来へ引き継ぐ行為なのだ。
暗記ではない「文学史」にするために
氷山の見えない海中部分を本歌取り歌の表現から読み取る作業など
うたの「遺伝子(DNA)」膨大な人々の心が引き継がれている。
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