言葉と言語文化としての「文字」学習
2021-10-28
言語四要素「音・字・語彙・文法」「国語」を学ぶ教室にはそれぞれが発動する
書写を含めた「文字文化史」を学ぶ必要性
義務教育の「国語」という教科では、「書写」も含めて学ぶことになっている。中学校・高等学校の「国語教員免許状」を取得するためには、高等学校には「書写・書道」の単位は必要ないが、中学校免許状を取得するためには必須である。発達段階を追ってみると、小学校1年生では「仮名文字」を五十音として学ぶ。昨今は家庭での早期教育により就学以前でも「かな」を習得している児童もいるようだが、低学年は「音(音声言語)」から「字(文字言語)」への橋渡期なのである。よって就学以前は「声」を使った「身体的な遊び」のような機会こそが大切と思うが、知識偏重社会の勘違いが蔓延しているともいえよう。小学校1年生で「仮名五十音(ひらがな・カタカナ)」を習得すると、次に段階的な漢字教育が次なる課題となる。これは世界の言語教育を俯瞰しても習得の難易度が高い文字文化であり、戦後GHQの教育政策で問題視され「ローマ字化(音声表記化ともいえる)」が提唱されたことは有名である。だが考えてみてほしい、小欄のこの文章がすべて「ローマ字」で表記されていたら、どれほど意味判別の上でも読みづらいであろう。仮にすべて「ひらがな」であっても私たちの言語は判別に時間を要するものとなってしまう。「漢字文化」あってこその言語なのだと、あらためて思うのではないだろうか。
「漢字仮名交じり」というこの言語表記は、言い尽くせない言語文化・文字文化の習熟の結果であることに多くの人が自覚的ではない。義務教育においても、この壮大な「文化史的視点」での学びがなされているとは言い難い。その証拠に「言語四要素」のうち、次第に「音」を軽視し「語彙・文法」ばかりの学習に躍起になる傾向がある。高等学校「古典」の学びがいつまでたっても上手く行かないのは、この点に大きな原因があると考えている。昨日、附属中学校1年生の教室で共同研究の授業が実践された。学部の「書写・書道」担当教員が、中学校教員とともに授業実践をした。テーマは「行書の特徴を学び、自らの書写に活かす」という内容である。授業で「書写」の教科書掲載『蘭亭序』が示され、その文字の特徴を解読しつつ考えることから授業は始まった。このように書道史のお手本となるような芸術品の解読を試みて、「文字史」に眼を向ける文化的意識を中学生が学ぶ機会は貴重である。一般的に「楷書・行書・草書」という順番で呼ばれるゆえ、「次第にくずし字になった」というような認識が蔓延るが「楷書」の成立が最後である事実を学ぶべきだろう。竹簡・木簡に記されていた際は「篆書」、「紙」が発明されないと「楷書」は生まれないことを担当教員との休憩時間の雑談で確認した。日本では平安時代に「かな文字」が発明され、それ以前は「万葉仮名」とか「変体漢文(当然漢字のみ)」で和歌や文を表記していた。漢籍受容の問題も含めて、壮大な「漢字受容の言語文化」の歴史物語があるのだ。言語は一日にしてならず、その文化史的な混沌とした格闘の末に、今あなたも日本語が読めていることを義務教育で学ぶことが必須なのではないだろうか。
科研費共同研究の課題でもある
和歌を表記するために「仮名文字」は生まれた
言語に対する見方・考え方が現状ではあまりにも乏しい。
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