海面に出ていない記憶を探る
2021-10-24
「検索」「紐付け」などデジタル的な発想だが、人間の記憶も氷山のように表面に出ていない多くが
ふとしたことから辿れる人間の脳の脅威
行動様式が変わると、「やり方」がわからなくなるものがある。例えば、この1年半で酒場で呑むというのがどういうことか?などふと思わないでもない。あらためて確認すると、既に東京に足を踏み入れていないのが1年間に及んでしまった。研究学会も編集委員会も掛かり付け医も理容店にも、親類親戚に会うことも墓参りも、洋服店も眼鏡店にも、そして馴染みの酒場や飲食店にも1年間のご無沙汰となってしまった。研究関係は多くがオンラインで事済ませており、服は馴染みの店長が写真を送付してくれ「リモート買い」などと通信で成されたこともあるが、その他は生身でその場に行かないとどうしようもない。両親はコロナ以前に宮崎に移住したからよいが、もし東京在住を続けていたら1年間は生身で会えなかったと思うとゾッとする。このような意味で、生活上の「分断」を明らかにコロナ禍はもたらしたのだ。だがしかし、僕らの脳内には記憶という大きな武器がある。「コロナ以前に戻る」というよりは、「新しい日々を夢に変えて」いければとも思っている。
メールやデータなどをPC上で扱うと、すっかり「検索」機能に助けられることが多くなった。大まかな整理さえしておけば、あとは「検索」ですぐに発見できる。その「大まかな整理」の部分が人間の記憶に依存するところだと自覚する。反転してPCの「検索機能」のような動作を、自らの記憶や物理的書類の上で「実行したい」とさえ思うことも出てきた。そのような意識で即時的ではないが、「紐付け」に「紐付け」を繰り返していると次第に表面になかった記憶が浮上して来ることがある。「この時は何処で誰とどのようなことをしたか」が、その時の会話を含めて記憶から検索されるのだ。最近、必要があって何年も前の買物の記憶を辿ったら、明らかな記憶として蘇って自分でも驚いたことがあった。しかし、時に記憶は「恣意的」であることも少なくない。人間の欲求が、記憶に一定の偏りを施すのだろう。深海の奥深く沈んでしまって、決して浮上させたくない記憶があるようにも思う。ゆえに、前述したように「新しい日を夢に変えてゆける」記憶が蘇ればいいのだ。比較的、幼少時からの記憶が鮮明だと自覚するのだが、そのデータ集積が上手く研究や創作に活かされるべく蘇ることを意図したいものである。
生きた時間の証として
変わらない脳の大きさの中に皺を刻み続ける
人間の精巧な素晴らしさ。
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