小言や意見を言うことが大切な理由
2021-10-22
小言や意見は相手を尊重しているがゆえそこが自分を変えていける大きな契機
忌憚なく言ってこその教育
怒れない社会になった。それゆえか、意義ある「怒ること」と非難・中傷の区別がつかなくもなっている。特に日本社会では「当たり障りのない」ことが、公にまかり通るようになった。「見て見ぬ振り」が反転して、暗躍する輩はどんな卑怯な手段を使っても隠し通す社会だ。今筆者は「・・・なった」と書いたが、昔から「知らぬが仏、知るが煩悩」「知らぬが仏、見ぬが極楽」という諺があるように、軋轢を生むよりも「見て見ぬ振り」をするか、敢えて踏み込んだ物言いをしないことが求められた社会なのかもしれない。直近での流行語でいえば「空気が読めない(KY)」なども、この類のうるさいことは言わない同調圧力を求めるものだ。だが表面的に「怒らない」一方で、ネット上の匿名での誹謗中傷が高揚してしまう社会。体裁を繕い陰で攻撃する陰湿さが増長する社会だ。欧米の若者たちの地球温暖化への非難デモとか、差別問題に毅然と立ち上がる姿を報道で目にすると、日本の高校生らでも運動をしているものがいない訳ではないが、あくまで少数派であるように思う。むしろ「出る杭」にならないために、ただ入試に合格するためだけを考えて若い時間を空費しているようにも見える。これが選挙で投票率の上がらない理由にもなってやしないか。「正統なる社会」を求める行動がこの国では危ういのだ。
親しい友人ががネット記事「”思い”の伝わる注意の仕方を欠かせないこと」を引用しつつ、「三項関係」の大切さについて投稿していてなるほどと思った。記事にはあるCAが先輩から再三の小言・苦言を受けた経験談があって、その小言の延長上には「お客様の背中に熱い飲み物をこぼさない」ための万全の配慮が根付くためという大きな目的・意義があることにようやく気づけたという内容だった。少なくとも「プロ」の仕事をするに当たっては、妥協のない育成が欠かせない。ならば僕が携わっている日々の学生への教育では、「子どもたちに熱湯をかけてしまうような(←ここはCAの話題に関連した比喩ですので念のため)絶望を与えるような言動を教室でしないため」の心構えの根底を学部で養わねばなるまい。指導者が教材を調べ尽くしてこそ授業ができること、児童・生徒にも小言や意見を忌憚なく言わないと育たないと理解すること、嫌われることを避けずに小言をくり返すことが卒業の時に児童・生徒に感謝されること、そこに教師冥利があること、等々を日常から学生に伝えるべきと考えている。昨日から演習の学生発表が始まったが、発表後にクラスの学生らから様々な質問が出たことは、前述したような教育を施した成果のように感じられて納得感があった。それゆえに発表資料内容が十分調べられていない場合には、存分に学生たちに小言・意見を忌憚なく言うように心掛けている。それが常識となる社会にするためには、まず眼の前の学生たちにそのように接することだ。
筋断裂をさせるのが筋トレ、ゆえに筋肉は育まれる
意見を言ってこそ相手を尊重しているのだ
未来の社会に絶望しないために。
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