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食事や酒のような味わいの心

2021-10-20
「短歌を味わう」
それは三十一文字に込められた「心の体験」である
決して「意味成分」がわかったというのみにあらず

多様なサプリメント(以下、サプリ)が発売されている時代になった。日本語なら「栄養補助食品」というわけで、注意書きにも「食生活は、主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを。」などと表示されている。つまり栄養が詰め込まれたサプリのみでは健康維持には問題があって、バランスのよい食事をするのが基本だと謳われているわけである。これだけ多様なサプリがあると、人間が恒常性維持に必要な栄養を選び取るならば(サプリのみでも)満たされるのかもしれないなどと素人考えも浮かぶ。ダイエットを行なっている人などは、必要な成分のみを吸収したいと願うはずだ。だが極端な減食をして痩せるのは、明らかに身体によくない。若い頃には、「栄養ドリンクを飲んでいるから大丈夫だ」という強引な考えを強調する人がよくいるものだ。だがそれは、間違いなく身体を壊してしまう。サプリに表示された注意書きも、その栄養が万能でないことを諭すものだろう。人間には食事が必要なのだ。

栄養素のみならず、人間には食事をする精神的な作用が大きいように思う。なぜ?「美味しいものが食べたい」と思うのか。たぶん「恒常性維持」のためだけではなく、食事をすることが「生きる喜び」となるからだろう。「吉田類の酒場放浪紀」のようなグルメ番組が人気なのも、明らかに「酒と肴が人生の喜び」であると多くの人々が感じているからだろう。「味わい深い酒と肴」は、人生の至福である。確か高校の保健体育の座学の時間に、「嗜好品」という言葉を習った印象が深く刻まれている。『日本国語大辞典第二版』に拠れば、「必要な栄養を摂取するためでなく、香味や快い刺激など、個人の思考を満たすために飲食するもの。」とある。「酒」はその典型的な逸品である。もちろん過剰に摂取すれば、身体が悲鳴をあげる。吉田類さんのように「入れただけ動く」ということが肝心だろう。この「快い刺激」を求める志向は、動物にない人間的な営為であろう。自らを「もう一人の自分」にして他者と語り合ったり、ひとりで陶酔してむしろ心のうちを内観したり。「味わう」という作用で、人はその心を豊かに維持することができる。

教育において「文学」の価値を蔑んでしまっているのは
サプリだけ飲んで食事をしない生活に似ている
「嗜好品」の陶酔からこそ「文化」が育まれることを知るべきだろう。


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