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丹念に積み上げてこその著作物

2021-10-16
「ネットにありました」
がなぜ危うい情報なのか
2021年をかけて積み上げた著作物

新刊自著の初校が大詰めを迎えており、自宅書斎に積み上げられた参考文献から引用した箇所の照合、文章内容や展開の妥当性、もとよりわかりやすさなど、ペンの赤インクがなくなるほど力を尽くしている。思い返せば今年の松の内が明けて企画書を出版社に送り、内容が認められて「GOサイン」が出たのち、寒さの中で冴える頭をひねり完全元原稿を春先に仕上げた。4月以降、編集者とのやり取りでいくつかの改稿が提示され、粗粗しい部分が次第に整えられて行った。前期講義と並行しての作業は思いの外時間を要し、夏休みになっていつでも校正ゲラが出て来てもよいように体制が整った。もはや僕自身のペースのみならず、出版社の仕事の配分・進捗ももちろん作用し今に至る。こうして小欄を記す机の脇には、今も使用した参考文献が山積みされている。1冊の著書を刊行するまでには、誠に多くの時間を費やし参考文献からの情報収集、質的な検証と執筆・校正・確認に伴い、企画・編集・デザインなどの仕事が丹念に積み上げられて、ようやく1冊が仕上がる訳である。

予価¥1600円、内容タイトルにちなんで今年のクリスマス時期までには発刊予定である。この値段が市販される自著の価値なのかなどと、好きな感覚ではないが世相なりの金換算を考えてみる。例えば、小欄をみなさんがネットでお読みになるのは「無料」である。それは僕が朝起きて、その時点で脳裏に残る前日のテーマを勝手に考えて、独善的に文章にして発表しているに過ぎない。書き始めから30分から最大1時間以内の作業である。よって丹念な蓄積に基づいた情報ではなく、「思いつき」感が満載である。もちろん内容はそれなりに的確さを意識はするが、時に勘違いした内容をそのまま記しているかもしれない。されどこうしたブログなどを毎日更新していれば、いっぱしのエッセイストかのような真似事が可能だ。この点が「ネット」の融通性のあるところでもあり、また情報として危ういところでもある。最近、よく学生が講義内容やレポートなどの参考に「ネットで調べました」と平然と言うようになった。少し以前まではネットで調べたとしてもそうは公言しなかったが、さらにその情報の危うさへの意識が薄くなってしまったようだ。古典本文も現代語訳も彼らの「辞書」はスマホ内にあるのだ。教員を育てる立場として厳に意識を改善すべきと教室で目くじらを立ててしまう日々だ。少なくとも「演習」などを通じて、自らが著作を執筆し発刊するようなことの疑似体験をさせたいと思っている。

多くの資料のそれぞれがまた
多くの時間を費やして執筆・編集・出版されている
などと1時間以内で書いている今日のこの記事を、あなたはどう読むのだろう?


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