コンパクトな人とのつながりーみやざきの魅力として
2021-10-15
短歌関係の人々とも美味しいお店の人々とも
顔と顔がお互い見えるつながり
「国文祭芸文祭みやざき2020」が早くも17日(日)で閉幕となる。7月3日開幕1週間後に本学附属図書館で「みやざき大歌会」を開催し、8月末には「吉田類トークショー」オンラインにコメンテーターとして参加させていただいた。「全国高校生みやざき短歌甲子園」をオンライン配信で観覧し「短歌展きらり」も現地で参観した。この間、常に考えて来たことは「みやざきの魅力とは何か?」ということだ。トークショーで自ら実際に口にしたり、また自然アートを日南南郷大島で観る機会もあった。もちろん自然の豊かさ、その恵みとしての食文化など風土や地理的なものも大きな魅力の基盤ではある。だが文化的祭典を通してみると、あらためてコンパクトな人とのつながりこそが「みやざきの魅力」ではないかと思っている。歌人の方々や短歌に勤しむ学生たち、県庁の実行委員会の方々、企画そのものを支えるスタッフの方々、大学職員の方々など、お互いに顔と顔が見えるつながりがあるのは貴重なことだ。
もちろん飲食店などについては、東京でも同様なつながりを持つのが信条ではあった。今でもつながるお店が何軒もあり、コロナ禍でいかに頑張っているかについて連絡を取る機会も少なくない。ここぞと惚れ込んだお店の常連になるのが趣味みたいなところもあるが、その濃密度が「みやざき」ではさらに高い気もする。ようやく感染は減少傾向ながら、この1年半ぐらい市内中心部の繁華街の馴染みのお店に伺えていないのが気がかりだ。諸々と考慮すると「お家ご飯」が基本的な習慣となってしまったコロナ禍は、人と人とのつながりを遠ざける不埒な悪行をしている。だがそれを超えてお店に足を運んだ時に、笑顔で話してくれる人々の寛大さにまた心を射抜かれる。食事中は憚られるが、マスクをして会計をする際にお店の奥からわざわざ店主が出て来て、あれこれ話してくれるありがたさをひしひしと感じる。ただ「美味しい」だけではない、そして決してファーストフードなど顔のない店舗にはない、店主とのコンパクトなつながりがいい。少なくとも、こんな人と人とがつながりを大切にする地方を支えてくれる政治家に、僕らは投票しなければならないだろう。
みやざきの密度
人の縁で豊かに生きられる場所
決して都会の真似事などしなくてよいのだ。
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