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わかりすぎる歌ー第362回心の花宮崎歌会

2021-10-10
3ヶ月ぶりに対面歌会
まだ車座は控えているが盛んに意見が交わされて
「わかりすぎる歌」という指摘について

全国の新型コロナ感染状況がだいぶ落ち着いてきた。宮崎では「感染者0」という日もあり、「まん延防止」の解除もあって、ようやく街に人が出てきた印象だ。宮崎駅前にはちょうど1年前に開業したアミュプラザ宮崎のビルがあり、その東側の公園内敷地に中央公民館がある。隣接する市民体育館は、宮崎一番の規模のワクチン接種会場。今も接種のために来訪する人の波が続いており、接種率を可視化できるような気分になる。宮崎歌会は出詠44首、評をする選者に伊藤一彦・大口玲子・長嶺元久の三名で、会員は主に互選票を入れた歌に対して意見を言う方式で進められた。互選票は事前にメールその他で提出されており、集計されて「心の花だより」に示されている。「たより」にはその他の短歌関連情報も掲載され、毎回の事務局長の努力には頭が下がる。コロナによってこうした歌会の方法も改められ効率化が促進した部分もあるようだ。未だ以前のように活発な討議までは及ばないものの、同じ空間に各自が一首を持ち寄って語り合うことの意義は大きい。

今回の歌会の批評でくり返されたのが、伊藤一彦先生による「わかりすぎる歌」という指摘である。読後に「心に引っ掛かりがない」とか、「付きすぎる」とも言葉は置き換えられたものも同想の指摘だろう。常套的な表現にさらに上塗りをしていくとか、「発見」のように見えるが読者として「そうですか」と考えが深まらない歌ということになろうか。牧水も歌論の中で「そうですか歌」という言い方で指摘している。歌の取材の独自な視点とともに描写の的確さ、その表現の中にどんな主張があるか?を読者があれこれと深堀りできる奥行きがある歌が、やはり互選票でも得票が高い。独自な視点でありながら、読者の多くが共感することも重要であろう。取材・表現・歌の心といった三要素に加えて、独自の噛み応えがあることが重要だ。素朴だが深い、深刻だがユーモアもある、その絶妙な地点に歌を直立させることが肝要と悟る。

表現を入れ替えるなどの推敲
不思議が多い歌のおかしみ
「ふかいことをおもしろく」(井上ひさし「創作の原点」)


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