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まちなかに短歌を仕込む

2021-10-09
真の「短歌県」への道
まちなかに短歌を仕込むために
若い連中の躍動に期待!

かれこれ3年ほどになろうか、県庁文化振興課の「短歌県推進」を任とする方々との模索を始めたのは。「果たして県内がどんな状態になれば、真の『短歌県』といえるだろう?」という問いを何度となく話し合って来た。既に県はその年の優秀な歌集を賞する「牧水賞」を制定し、「牧水短歌甲子園」「老いて歌おう」など老若男女の短歌イベントがあり、地元紙宮崎日日新聞は「俵万智短歌賞」など一般公募の短歌賞も充実している。こうした土壌があることはまず「短歌県」の背骨として大変に重要なことであろう。だが高校生も高齢の方も短歌に親しむ人は一部の限られた人々で、一般の人々でも年齢層は中年以上で平均年齢の高さは否めない。社会全体が抱え込む少子高齢化の波そのままに、短歌に関わる人々も先細りにならないかが懸念される。若者を中心により多くの年齢層で短歌に親しみ関心を持つ層を増やさなければならないだろう。「若者への対応を加速」などというと、どうやら「ワクチン」と同様な対応のようでもある。それが現状の日本社会を映し出す鏡ということだ。

よく「国語授業」においても、「言語文化に親しむ」などという目標が掲げられることがある。ではいったい「親しむ」とはどうなることか?明確でないことが少なくない。簡単にいうならば一般の人々が「野球に親しむ」と言えば、日常生活の中に「野球を観る機会・する機会」が多いということになろうか。野球という例ならばチーム編成や場所の問題などが伴うのだが、短歌の場合は諸条件となる環境は不要である。まずは一人でも道具がなくとも短歌を創ることはできる。問題は「日常に短歌がある」という環境と、そのために「短歌は難しいものではない」という感覚を多くの人々が抱くことだ。本来は「誰でもできる」ものを特別でハードルの高いものと思う傾向は僕の身近でも強いと感じる。まずは「創る」ことだけで、人生がことばで彩られるのだ。ほとんど「やるかやらないか」で「人生を豊かに大事に生きるかどうか」が決すると言っても過言ではない。ということで人々の身近な環境に「短歌を仕込む」プロジェクトを、学生らが始めたのである。

さらに様々な分野の人とコラボする
まちなかに楽しく短歌に親しめる環境を
餃子支出ランキングと短歌の競争でもしてみようか。


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