親の誕生日を祝う意味
2021-10-04
自らの命につながる日母が身近にいることのありがたさ
誕生日を祝うことで明日を美しく
母が誕生日を迎えた。息子として何ができるかなどと構えて考えたりもするが、何よりともに宮崎の地に住んでいられることそのものがありがたいのだと思う。2013年に僕が宮崎に赴任してから、2019年までは東京と宮崎と1200Kmを離れていた。おかしなもので東京で10Kmと離れていない場所に住んでいる際は、何ヶ月も音沙汰なしということもしばしばであったが、遠く離れると頻繁に電話をするようになった。東京在住で地方出身の友人がよく故郷の親が心配だなどと口にしていたが、自らが地方に赴任することで同様の思いも抱くようになった。何物にも代え難く近くに住んでいるというのは、誠にありがたいことである。核家族化が一般的になった現在の社会において、独り立ちして後に親との関係を良好に保つのは大切なことだろう。長年、東京の荒波の中で過ごした両親が、穏やかな宮崎の地で過ごすことができるのは結果として豊かな時間を得ることができているのだと思う。
明治時代に戸籍制度が確立するまでは、多くの人々が自らの誕生日を知らないことが多かったようだ。今年の暮れまでには刊行する新刊著書に記したことだが、現在ではクリスマスと誕生日を似たような方法で家族で祝うのが一般的になった。普段とは違う食事をしてケーキを買って蠟燭に火を灯し当該者が吹き消す。(クリスマスの場合は誰と決まっているわけではないが)家族が幸せを感じられるのはどうしたらよいか?その象徴がケーキであるということだろう。気に入っているケーキ屋さんの情勢を見ると、他にも雛祭りとかバレンタインにも店舗は混雑している。確かめていないが今やハロウィンなどでも同様の傾向があるのだろうか。さて秋晴れに恵まれたこの日、母の誕生日を祝うために海の眺めよろしきホテルへ食事に行った。「まん延防止」なども解除になり感染状況も落ち着いてきたところ、今までは家で籠ってと考えたであろうがやはり外食の機会を持つことは貴重だ。海には多くのサーファーたちが波間に揺られていたが、やはりしかるべき場所で人々の姿を見るのは「社会」が感じられて元気が湧く。母には靴をプレゼント、元気の証拠である「歩くこと」を大切に日々を過ごして欲しいという願いを込めて。
もちろんメッセージプレート入りのケーキも
親への恩はいくら返しても返しきれるものではないが
自らの仕事・生活を充実させてこその恩返しだともあらためて思う一日。
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