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わかる・できる・やってみるー行動あってこそ

2021-09-23
「わかってるよ!」
他者に怒って言う口調
それは「できるのか?」「やってみる」行動はあるか?

子どもが親に「勉強しなさい」と言われると、たいていは「わかってるよ!」と反発するのはよくある光景である。子ども側の言い分からすると、「そんなことを言われるとやる気がなくなる」というのも定番な物言いである。多くの家庭で経験があるであろうこの会話だが、なんとか抜け出そうとして言い方を考えた方も少なくなかろう。親としてはどんな面でも子どもの行動が心配で口に出すが、子どもも「勉強した方がよい」ことは「重々承知」であるというのだ。考えるに、この「わかってるよ!」という反発は、ある意味で便利である。親の言うことの趣旨を「自分は知っているし、理解している」にも関わらず、余計な心配をして注意する親の方が間違っていると言うが如く反発して逃げられるからである。しかし「わかっている」とはどうすることか?また「わかっている」ならどうすべきか?が肝心であって、「わかっている」だけでは駄目なことをはっきりさせる必要がある。

教員養成の場でもよく語られることだが、「わかっている」だけでは「授業はできない」と云う。教材内容を研究し教える対象の学習者の実態を知り、授業計画を考案し板書に使用する教具などを準備する。だがいざ教室に行ってみると、「授業案』通りに「できる」のは容易ではない。教材研究などはその幾分の一が活かせるや否や?教育実習生を見ていると多くが、このような「できる」の壁を越えるために「やってみる」をくり返している。3週間の基礎実習であると最終週頃になって「できる」感触が、ようやく掴めるのが実際のところであろう。これはスポーツでも楽器演奏でも絵を描くのも同じではないか。プロ野球選手なら誰しもがどうしたら速い球を投げ、本塁打をたくさん打てるかを「わかって」はいる。だが高校の舞台でできてもプロでは「できない」とか、練習でできていても試合で「やってみない」と当人の資質は定かにならない。こう考えると大谷翔平などは、常に最高の舞台で「できる」「やってみる」を行動としてくり返している。本塁打がなかなか出ない時も、どうすればよいかは「わかって」はいる。ゆえに様々な微調整を実行動で「やってみる」からこそ、現在の数字が残せているのだろう。大人の社会では「わかっている」は通用しない、「できる」「やってみる」の行動あってこそ「わかった」ことになることを忘れている人がいるのが残念である。

「やってみる」をくり返して今の場所まで来られた
もしかすると「わかっている」と口にするのは「わかっていない」証拠か?
ふて腐れていては人生は豊かに生きられない。


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