仲秋の名月への道
2021-09-22
旧暦8月15日十五夜満月であるのは8年ぶりとか
宮崎でこそ見える海上の「月の道」へ
3年前のことだ、宮崎港を臨むある見晴台で人生でこれ以上ないと思える月を見た。宮崎は海岸線が全て真東に面しているゆえ、海上に昇る月が大変に綺麗である。もちろん旧国名「日向(ひむか)」というように昇りくる太陽にも向き合うわけだが、それ以上に月が似合うような気がする。都会が太陽ギラギラで燃え尽きようとするのなら、宮崎は太陽の光を反対側からいただきながら自らの存在を輝かせつつあくまで穏やかに和やかに語りかける柔和さが特長である。3年前の月が心に焼き付いたのは、たぶんこうした宮崎の土地柄を象徴するような感覚を抱いたからである。月は水平線から海上に昇るため、雲がなければ海上には月に向かって月灯りで照らされた「月の道」ができる。波穏やかな港の海面にできる一筋の道、まさに月に向かってその道を歩いて行きたいような幻想的な気にさせてくれる。
天気予報では曇り、しかし18時台までは「晴れマーク」早く現地に向かえば可能性がある。妻を早々に職場まで迎えに行き、その後の所用へ赴き、早々に普段は食べないハンバーガーを買い込んで3年前の見晴台に向かった。自ずと自動車の向かう方向が東となり、助手席の妻が月の出を発見した。建物の間にある月は、比率の上で大きな顔に見える。誠に鮮やかな「仲秋の名月」である。見晴台に着くと津波避難場所とされる防潮堤がこの3年の間に整備されており、港を眺める趣がやや変化してしまっていた。しかし、3年前に妻とともに見た見晴台は健在、階段を駆け上がると数組の人々がすでに名月を写真に収めていた。しばらくすると、出航したばかりの神戸行フェリーが「月の道」を右側から左側へと横切って行く。これもまた3年前と同じ、要は同じ季節の同じ時間でないと海上に月の道はできず、フェリーの航行時間も1日1便ゆえにそうそう変わるものではない。現在の世情、何事にも「希望」が欲しい。「太陽」というあまりにも高温なものではなく、柔和な月の表情が僕たちをいつまでも「希望」の未来へと導いてくれているかのようだった。
海の水そして地球の惑星としての月
この光景は時代を超えて人間の心を癒してきた
ギラギラ燃えるのではない、穏やかな月灯りに照らされる宮崎が好きだ。
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