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〈聞くこと 話すこと〉引き剥がせない行為ゆえ

2021-09-19
トークショーでも話の波を「聞く」
もちろん、研究学会でも会議でも議論の場での常識
家族だからこそ「相手の話は最後まで」

先月の「吉田類トークショー」への出演を自ら見直し、省みたことがいくつかある。もとより「人の話を聞くときは、相手の眼を見てしっかり聞きます」と幼稚園時代の園長に声に出して唱えて教わったことを、今でも習慣にしている自分を再発見した。リハーサルでカメラ目線を意識するようスタッフの助言があったが、自己紹介の際にはカメラ目線だがそれ以外は吉田類さんや伊藤一彦さんの「眼」を見てしまうことが多かった。それ以後、TVでコメンテーターはどう話しているかを注意深く観察しているのだが、多くの人はやはり司会者なりの方を向いているのでいささか安心をした。「目は口ほどに物を言う」は映像社会になっても健在なのである。そうした意味では、「カメラ目線」は視聴者が「相手の眼」になるわけだ。いまひとつは「相槌」である。これも「話を聞く」ためには必須の「反応」だと心得ているのだが、映像で映っている際に過剰な数の「頷き」があるとやや「五月蝿い」印象を自ら受けた。相手の「話す」に呼応する行為として重要であるのだが、今後は適度に脳内の作用に止めるよう改善しようかと思っている。このように自らが映像に一定時間映ると、省みる点が発見できる利もあるものだ。

翻り上手くいっていたと自画自賛したいのは、話すタイミングである。もちろん司会の伊藤一彦さんの差配の巧みさもあるのだが、吉田類さんの話題に対して適切なタイミングで適切な話題を提供できたと思っている。なぜそれができたのかを顧みると、「相手の話を最後まで十分に聞いて受け止める」という姿勢を崩さないことである。ある時期まで、僕は「人が話していると割り込んで話す」ことが無意識に身に付いていた。その姿勢が母の日常にそっくりで、育てられた環境から無自覚に学んだのか?それとも遺伝子が伝えるものなのか?不思議に思っていた時期がある。しかし、学術的な研究学会などはもちろん仕事上の会議において、「他者が話している際に割り込む」のは何よりの禁忌(タブー)である。若い頃ならまだ「自己主張の強いやつ」で済まなくもないが、特にアカデミックな世界を生きる上では致命的な欠点となる。振り返り幼稚園園長が僕らに告げたかったのは、「相手の話を最後まで聞く」ことなのだと思い改めた。「会話」には流れや波のようなものがある。サーファーではないが、その波にうまく乗ることだ。逆らっては自らが弾かれる。などを自らの信条にしているゆえ、公的な場で「割り込み」や「話題のずらし」をされると「怒り」モードになってしまう自分を発見するのである。

「他人に対して苛立ちを感じたときは、
 自分自身について知る良い機会だと思え」
(精神科医・心理学者・ユングの言葉より・真山知幸メルマガ9月17日号より)


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