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若山牧水93回忌ー牧水祭は2年目のおあずけ

2021-09-18
台風が過ぎ豪雨が去り秋の風
若山牧水93回忌は公の行事は開催されず
忌日に偲ぶことの大切さを思ひて・・・

昭和3年(1928年)9月17日午前7時58分、若山牧水はこの世を去った。約1時間半前の午前6時30分には、希望があると診て主治医である稲玉信吾先生が「葡萄糖液静脈注射」に加えて朝食として「卵黄」「玄米重湯」さらには「酒100cc」の提供を進めている。しかし、最期には「末期ノ水ニ代ハル酒ニ口唇ヲ湿サセツツ」と家族・親族・友人・門下の方に看取られ、「千本浜ニ寄セテハ返ス波音ノ消エ行ク如ク、静カニ安ラカニ」と「永眠」の際の様子が稲玉先生の「病況概要」によって遺されている。それから93年の朝を迎えた。前夜までの台風の影響による豪雨は少し収まったが、時折、牧水を偲んでか悲しみの雨が宮崎に降りつける。43歳という若さでこの世を去ったのは、言わずと知れた「酒呑み」であったから。稲玉先生が記した「病名」は「急性腸胃炎兼肝臓硬変症」とある。先日の吉田類さんを迎えてのトークショーでも話題になったが、1日1升以上、しかし仲間や友人との「酒縁」を大切にしたからこそ「飲み過ぎた」のだと伊藤一彦さんが語っていたが、「人好きゆえの酒好き」という牧水の穏やかで和やかな人柄が浮かび上がる。

宮崎で生きる上での大きな利点は、自然と融和的に生活できることだ。この時季なら秋の風に吹かれ、朝には早起き鳥の声に目覚め、夜には虫の音を子守唄に寝入ることができる。畑で採れ立ての野菜を食し、日向灘から揚がった魚を口にできる。自宅や大学を問わず、小さな蜘蛛や虫類も周囲には豊富に存在するが、それは無害な空気の中で生活している証拠。東京生まれ・東京育ちの僕は「虫嫌い」であったが、最近は虫を見ると安心するようになるまでに成長できた。こうして文章を綴っている今も、外から鳥が鳴きかけてくれる。牧水は山野を歩くと、その声を聞くだけで鳥の種類がわかったほど、生き物と同化して生きていたらしい。「自然と親和」な関係であったからこそ、「死」も恐れなかったのだと云う。家族・友人・知人を大切にする素朴な生き方、「酒呑み」と云う言い方は否定的に使用されることも多いが、「だれやみ文化大学」で吉田類さんとトークしてみて、あらためて「(酒)縁を大切にする人」なのだと悟った。この日は、新型コロナの対応で生家のある日向市東郷町坪谷での「牧水祭」は中止、宵の口に密かに牧水先生に献酒。

あらためて牧水短歌の韻律を読み解く
宮崎の良さを牧水の短歌との共通性から読む
さらに深く牧水先生について考究し続けたい。


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