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夏の終わりの花火ー宮崎大学短歌会9月例会

2021-09-15
「手持ち」か「打ち上げ」か?
夏の風物詩に限るのだろうか?
あれこれ考えさせられる、テーマ詠「花火」

宮崎大学短歌会9月2回目のオンライン例会、出詠8首、参加者5名で開催。夏期休暇中であるが定期的な開催を維持している。教育学部で3年生は教育実習、医学部では試験前ということで、参加できない会員もいたが、何より続けることが肝心であろう。短歌は芸術でもあり、また運動の感覚同様に「1日創らないと下手になる」と佐佐木幸綱が言っていたことが思い出される。脳内のことで考えるならば、たぶん様々な脳の部分を統合的融合的に使用して三十一文字を編み出しているのだろう。さて今回はテーマ詠「花火」、急速に秋が来たような今年であるが、「花火」は夏のものだけなのか?はてまた「手持ち」か?「打ち上げ」か?さらには「花火見物」はデートの定番か?など、若者らしい発想の歌も多かった。考えてみればここ2回の夏は「打ち上げ」の大会なども自粛されており、「花火」を取り巻く光景も変わりつつある。

ある期日に恒例として開催される花火大会には、地域に住む者にとって大きな意味がある。例えば、新潟長岡市の花火は有名であるが「長岡大空襲」を忘れないという祈りを込めて「8月1日」に開催される。その土地土地に育った者にとって忘れ難き花火大会なのだ。「君」と「僕」との関係が読める歌で、一言も「花火」らしき表現がないが「打ち上げ」と読める歌があった。「テーマ:花火」を参加者が知っているからか?などの議論も歌の読みを考える上で興味深かった。またやはり「二人」で観る花火らしき表現の中で、「涙に映る」という趣旨の歌にも神秘的な香りが漂っていた。一方「手持ち」の花火の歌では、どのように花火を掲げるか、どのように点火するか、などが繊細に描かれていた。幼少時の体験に基づいたものなのか?なぜ人は夏に「花のような火」に興じるのであろうか。

「60連発スターマイン」を詠んだ歌
意外に9月に花火による祭りを催すところも
夏の終わりの花火、短歌により学生らと季節観を交流する貴重な時間。


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