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報道を観るための脳を考える

2021-09-09
ニュースの優先順位や速報の緊急性
では報道を観るための脳はどうあるべきか?
そこに隠された意図があることに注意深くなること

映像を一つ見ていても、報道と虚構のドラマは受け止める脳の領域が明らかに違う。だがここ20年ほどで注意深くならねばならなくなったのは、報道を鵜呑みにしないことだ。以前からそうした姿勢が必要なことは高校・大学から意識はしていたが、昨今は特にTV報道による「誘導」とも思える「世論づくり」が甚だしいように思う。未だに「専任」すべきと云うほど新型コロナによる医療逼迫や自宅療養、さらには子どもへの拡大など問題は山積であるはずだ。しかし、多くの報道がこれをトップニュースで報じなくなった。どのTV局がどんな順番で報道するか?ということに「劇場」的ともいえる意図的な「脚本・演出」を読むべきと考えている。ましてや「ニュース速報」の「あの音」にほとんど緊急性を感じない国民が作られてしまった。「宣言」「メダル」の「速報」を乱発した結果である。人間は「慣性の法則」を持った生き物であろう。

高齢の方々には「多様な刺激」が、認知症予防に効果的と聞いたことがある。TVを観る・新聞を読む・音楽を聞く・自然を観賞する・自ら文字を書く・声を発するなど、脳の多様な部分を多様に使うということだろう。僕たちでも意識してみると、多様な脳の使い方をしている。今こうして小欄を記している脳・短歌創作をする脳・評論を執筆する脳、かたやメールを始め事務文書を記す脳・会議に参加する脳等々、まさに多様であり一様ではない。最近感じるのは、身体の使い方も同様に多様であるということ。一定時間を歩く刺激・均衡や柔軟を保つ刺激・筋肉を鍛える刺激等々によって作用する脳も筋肉も心肺機能も違う働きをするはずだ。その均衡が実に大切であり、偏るとむしろ身体のどこかに支障をきたすことになるだろう。また食事を分散せず集中して摂ると急激に血糖値が上がってしまうように、均衡を保ち刺激を与えることも重要だ。もちろん日常の睡眠をはじめとして「休養」を取ることも脳や筋肉にとって不可欠なのはいうまでもない。

政治家も役者修行に勤しんだらしく
ここぞと「聖人」ぶった「脚本・演出」で真の顔を覆う
第1次小泉内閣から20年、少なくとも報道が「劇場型」である意識はもちたい。



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