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鳴り響く音たち・テーマ詠「楽器」ー宮崎大学短歌会8月例会②

2021-08-26
テーマ詠「楽器」
演奏されている場面・そうでない場面
生きることを豊かにする楽器との付き合い

宮崎大学短歌会8月2回目の歌会をオンラインにて開催。テーマ詠「楽器」に9首が出詠された。テーマ詠は5月以来であるが、「楽器」というものがいかに身近で様々な存在感があるものだと並んだ歌を見て再認識する。演奏されている場面を詠んだ歌よりも、それ以外の場面を切り取ったものが多かったのも特徴であった。当該の楽器を落とした時、部屋の飾りとなった代物、気のない音だけの乱打、出せない音、調律されていない音、演奏者なき応援スタンド、等々が演奏時ではない楽器として詠まれたわけである。本来の目的以外で使用される楽器には、大きな破壊力がある場合もあれば、大変に無力感を覚える場合もある。短歌の韻律に抒情性があるのなら、楽器の音にも大いに語り出す力があるものだ。出詠された歌たちを詠んでいて、あらためて楽器に日常で親しむ機会を持つべきという思いも新たにした。

打楽器の持つ衝撃音は、身体の芯に訴えるものがある。僕の体験で言うならば、幼稚園の際のトライアングルとかカスタネットのリズム感はその後の大切な感覚に育つものである。小学校後半の3年間は音楽を専門とする担任の先生であったので、よくタンバリンを手にして僕ら児童を注目させていた。大人になって仲間とのバンドでパーカッションを担ったのも、こうした経験に由来するようにも思う。何せ幼稚園の際に一人しか担えない「大太鼓」に抜擢されて、見事に本番で打つべきところを忘れてしまったことがある。先生が舞台の下から人差し指で「打つ動作」を僕に向けてすると、その先生の動作通りに人差し指で打つ動作のみをして会場の保護者の方々に大きな笑いが起こったことが記憶にある。打楽器というのは、簡単なようで影響力があまりにも大きな楽器である。最後に短歌は「韻律」によって内容の訴える力が違うのであれば、楽曲も楽器が語るリズム・旋律と歌詞との関係性が大変に気になる。現在、気に入っている楽曲を考えるに、そのアレンジが歌唱の後に同じ旋律をキーボードが追いかけると暗に「言葉」そのものが復唱されるように聴こえる。音と言葉の関係は、実に奥深いものがある。

巣篭もりで楽器を学ぶ人々も多いと聞く
街に弦の響きがある豊かな感覚
「楽器」という豊かな文化を身近に!


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