豪雨やら危機の予測をいかに心得る
2021-08-21
「速やかに避難、安全確保してください」急な集中豪雨の恐怖
予測できることを改善しないでいては・・・
所用があってある場所まで車で出向いた。しばらく待機する必要があって、付近のコンビニ駐車場に停車していると、雨脚が予測もしないほど強くなって来た。いま「予測はしないほど」と書いたが、実はスマホの雨雲アプリで概ね予見できていたことではあった。しかし、アプリで雨雲が真っ赤になっているのを事前に見るのと、実際の集中豪雨に打たれるのでは実感がまったく違う。その上、「防災速報」アプリから冒頭に記したような警告が届く。確かに僕がいたその場所は、過去にも浸水被害を受けていることを知っていた。このまま自家用車でその場所にいることは、命の危険があるのではとさえ考えた。所用からしてしばらくはその場を動くことができない葛藤を抱えながら、自家用車が車高の高いSUVであることだけを気休めに耐え続けた。だが本当に危機が迫っている場合は、この過信が危ういということだろう。約10分ほどで雨は小止みとなったが、諸々と考えせられる体験になった。
「医療崩壊は防がねばならない」もう1年数ヶ月前から予測し専門家が警告していたこと。日々、全国の感染者数は増加の一途を辿り、自宅療養の方が増えている。症状の悪化によって入院先を探しても簡単には見つからない。たとえ入院できたとしても、悪化した症状には対応できない施設の病院を選ばざるを得ない状況だという報道を観た。医療機関を増設することはそうたやすいことでないのは承知の上で、だからこそ国が主導してこの間に進めるべき対応策ではなかったのではないか。新型コロナ専門病院や検査センターなどの設置、または感染症対策専門機関の設置など、緊急な危機に対応してこその「安全・安心」ではないのか。感染者数の増加とともに、言い訳や世論の盾にされる日本語の的確な精度が失われている。「ワクチンは切り札」もまた同じ。ワクチンは重症化を防ぐ効果はあるが、決して感染しなくなる訳ではない。「集団免疫」というのも期待値でしかなく、このウイルスのしたたかさははるかに人間の為政者を超えている。危機予測をどう捉えるか?正確でない情報を喧伝し「なんとかなる」「策は講じている」「起死回生の風が吹く」などと、歴史を何も学んでいない対応そのものにこそ危機感を覚えている。
くり返すが教育現場では最悪を考えるべき
危機迫る豪雨はこの列島で全ての人が当事者だ
半年間感染者0、1人の感染に危機意識のあるNZの首相会見も観た。
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