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僕らが背負ったものと新しい芽

2021-08-10
TOKYO2020開催費用約3兆円
国・東京都・組織委が分担して支出
ただでさえ世界の借金大国が大丈夫なのか?

2週間後の8月24日からパラリンピックの開催があるので、未だ道半ばである。あくまで偏らずトータルに考えねばならないのだが、気にせずにはいられない数字がある。冒頭に記したようにTOKYO2020の想定費用が1年間の延期も相まって、膨大な額になっているのだと云う。支出するとされている組織同士の擦り合いも顕在化しているが、東京都民は1人あたり10万円を負担する計算になると云う。試算上の話題としてある報道番組が紹介していたが、新型コロナ専用病院施設を約300ほどは建設できるのと云うのだ。都市部を中心に「自宅療養者」が問題視される中、短絡的に結びつけるべき問題ではないにしても深く考えさせられてしまう。確かに僕らはこの17日間、「希望と勇気」を多くのアスリートから受け取った。他者には決してわからぬ苦闘を重ねて競技する姿から、この1年半においてこの国で誰もが見せられなかった「光」を感じさせてくれた。だが幼い子が費用を気にせずに物見遊山に興じるようにもしていられない、深刻な国の台所事情があることも肝に命じておかねばなるまい。

五輪しか扱っていなかったワイドショーが一転して、新型コロナ感染拡大が深刻だと寝返る。メダルを獲得した選手たちがワイドショーを足場にして、バラエティー番組に出演し次第に「アスリート」ではなくなってしまう。メダル獲得選手の地方自治体への表敬訪問なども、下賤な行為が悪気もなく行われたことでその意義が問われている。閉会式で古関裕而作曲の「オリンピックマーチ」が聞けたことは、東京1964の遺産的な回顧として喜ばしいものかどうか?複雑な思いを抱く。ましてや会期中に広島原爆投下から76年目の8月6日があるにも関わらず、「平和の祭典」はまったく見向きもしない冷徹さを露わにした。社会を揺るがす大事件があるごとに、「この国は変わらなければならない」と呪文のように唱えられるが、ここ毎年頻発する水害や東日本大震災があっても、決して「変わることのない」縛りがこの社会を覆っている。(いつのまにか「復興五輪」ということも誰も言わない)それは、76年前の大禍があっても同じなのは、この年月を費やしてようやく「黒い雨訴訟」に光が見えたことで明らかである。明治以降の西洋文化の急激な吸収の後遺症、いや、中世以降の武家社会による忠義的な集団一斉の呪縛と言ったらよいだろうか。メダルが「御恩奉公」の証であるかのような、指導者の「選手がよくやってくれた」という無意識の支配から、もういい加減に解き放たれる必要はないのだろうか。

メダルではなく「挑戦の尊さ」を讃える選手同士の姿など
規制の「この国」のやり方が破綻していることを自覚すべき
新しい芽を伸ばしていくのは、この五輪を経験した僕ら一人ひとりなのである。


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