調べればよい時代にーわからないこともある
2021-07-31
すぐに調べるのはよい習慣ながらスマホで信憑性の定かでない情報に依存していないか
ルールは知っておかないと試合はできない
この約10年ほどの間に、スマホで調べることが日常化した。飲食店もその評判も、行きたい場所も、最新のニュースも、緊急な情報まで、ほぼスマホで調べるのが早いのは確かだ。僕自身は仕事上、総合辞書・事典類データベース「Japan Knowledge Personal」を契約しており、年間22000円の料金を支払い、膨大な数の辞書・事典をWebを介してスマホに格納しいつでもどこでも持ち運んでいる。講義・演習・ゼミ中に学生の発表や発言について調べたくなることがあり、スマホを操作することがあるが、その光景を学生は「先生も同じ!」という安堵感のある目をして僕を見ている。その目を感じた際にはいつも、「年間22000円の契約サイト」であることを告げると、学生たちは「高い!」と驚きの表情を浮かべる。「月々約1800円でこの教室に収まりきれないほどの信頼性のある辞書類をスマホ内で持ち運べる!なんと安いではないか!」と僕は切り返す。書籍・データベース・Web情報の価値の問題を浮き彫りにするやり取りとして、執拗に学生たちに訴える内容だ。
「上中古文学史」の講義では1年生ということもあるが、学生たちに「覚え込む」ことから「関連を考える」思考に変化させることに苦心している。中高の学習や大学・高校入試を経験してきた学生は「学習=暗記」という意識からなかなか脱しない。例えば、成立年次の定かでない作品などにおいても、「どのように答えを書いたらよいか」といった感覚が拭い去れない。もとより「成立」そのものが一回性であるわけでもなく、和歌の原資料とか伝承・説話的なものが集約され編纂され次第に現在認識できる作品形態になったという理解を、「入試的正解主義学力観」は許さないというわけだ。現代語訳などでも「スマホで検索したら」と平然と言う学生もいて、既に現役学生世代で「調べる」という行為は「図書館」ではなく「スマホ」になっている。本学の図書館でも前述した「Japan Knowledge」が館内の端末で利用できることは告知するのだが、果たしてどれほどの学生が調べているか疑わしい。(少なくともゼミ生は卒論などの際には調べている)さらによくないのは、「調べればわかる時代」だという社会に甘えてしまうこと。教員になって「古典」の授業をする際の「基礎体力」として「文学史」は欠かせない。運動競技ならば、少なくとも「ルール」を試合の際に調べていてはプレーはできない。試合中のどのような状況変化にも対応できる力、「系統立てた思考」が意識せずに動作化できるか、比喩的にそんな力を「中高国語教員免許状」の基礎体力と考えたいと思っている。
「正解=事実」否、
すべてが「解釈」という相対化の中に
この世にはわからないこともある、が常識ではなくなる虚飾社会にしてはなるまい。
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