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講義の学びスピーチから気づくこと

2021-07-27
スピーチでこそ表出する心
嫌われない「古典」嫌われない「国語」であるために
講義最終週にあたり

前期講義も最終週に入った。15回目の講義でこれまで何を学んだか?〈教室〉で個々の考えを提供してもらい相互に気づきを得る時間とする。『伊勢物語』を扱う講義では、「高校生に向けて『伊勢』の魅力を語るスピーチ」を1分30秒ずつ展開してもらった。未だ「高校古典学習」には文法の丸暗記や断片的な教材の扱いから、嫌悪感を示す者が少なくないことが知られる。それを受けて大学講義でいかに古典に親しみを持てるようにするか、免許状授与機関として重要な役割があるとように思う。本来は小学校から「古典に親しむ」ということは、大きな目標になっているはずであるが、現場の実情はなかなかそうならないことが学生たちの教育経験から知られる。『伊勢物語』は「むかし男」の恋愛譚が主なるテーマとなる物語であるが、人間の「愛情」という点において、学生らには現実生活上でも響く内容が多い。高校までの「古典教育」でも、「愛」と「恋」をもっと前面に出した授業が為されるべきと思う。それにしても教員を目指す学生たちのスピーチは、なかなか訴える力があった。

「1分30秒」は、ひとまとまりのテーマを冗長にならず具体的にスピーチする単位であると考える。「×2=3分00秒」「×3=4分30秒」「×4=6分00秒」と倍加していくと、かなりの内容を主張することができる。講義では「ちびまる子ちゃん1話分(約12分)」という原則を意識するのだが、それは「6分00秒×2」という感覚である。一人の人間が同じ速度やトーンで「13分」を話すと、人々は「冗長だ」と感じるらしいのは、この五輪の開会式に対するWeb上での批判的意見でわかる。「テーマの全体像」「要点の明示」「具体例の列挙」「要点の連携」といった構成で、「1分30秒」ごとに「ギアチェンジ」する感覚が大切であるように思う。また「6分」話をしたら、聴き手が主体的に思考し発表する時間を「6分」組み合わせるとよい。こんなことを考えながら、学生らにこの「時間単位」でスピーチの感覚を身につけさせることは、教員養成として大切なことだとあらためて思う。自戒を込めて言うが「教師は話が長い」、いずれの校種でも朝礼の「話」がキツかったという経験は誰しもが持つだろう。効果的な「話す 聞く」を学生時代に意識として根付かせておく必要がある。その前提として大学教員も「冗長で主旨のわからない話」を、まずは自覚して避けなければなるまい。

スピーチに体操競技の構成の感覚を
これは一首の短歌にもいえることだろう
五輪の喧騒が巷間を覆うのだが、学生たちは期末レポートなどに必死な時期だ。


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