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ふるさとの〜ああ宮崎やみやざきや

2021-07-19
「宮崎のワイン豊かに酌みゆけば土地の縁とは人の縁なり」
(『みやざき百人一首』より)
この素晴らしき土地の縁

国文祭・芸文祭みやざき2020の開会式の冒頭で、『みやざき百人一首』の短歌を高校生が朗読する場面があった。短歌朗読のあり方を再考させられるとともに、「ふるさとみやざき」を声から実感でき豊かな気持ちになれる機会でもあった。人にとって「ふるさと」とは何であろうか?単に生まれ育った土地のことだろうか?愛すべき土地を人はいくつ持てるのだろうか?若山牧水は、生まれ育った日向市東郷村(現東郷町)坪谷についても「ふるさと」として歌に詠むが、青春時代を過ごした延岡、短歌創作活動に励んだ東京、終の住処と定めた静岡県沼津、とそれぞれ土地にそれぞれの愛着を持っていた生涯であった。僕の場合は、生まれてから疑いもなく東京で育ち、東京で学び、東京で仕事に就いていた。大学教員になるにも受け皿の上で多数が存在する東京が一番いいものかと思っていたが、公募による縁で着任した「みやざき」であまりにもよき出逢いに恵まれている。あらためて冒頭に記した俵万智さんの短歌が、ワインのごとく身に沁みる日々である。

「人の縁」のうちでも、学生たちとの出逢いは貴重である。学生らの出身地は宮崎とその隣県が多いが、学生時代を過ごすことで「みやざき」への愛着が増す者も少なくない。隣県出身者が宮崎県教員採用試験を受験して教師になってくれる場合があるが、指導教員として大変にありがたい気持ちになる。さらには県内出身者にも「みやざき」の魅力や「人の縁」を再発見してもらうことまでが指導教員の責務ではないかと思うことがある。生まれも育ちもという場合、意外とその土地の魅力に気づかないことが少なくない。だが真に「人の縁」を結んだ時に、「ふるさと」は包容力も豊かにその「ひとり」を虜にするものだ。此処で出逢えるという「奇跡」に、自らの魂が共鳴しているとでも言えばよいのだろうか。そんな濃密な「人の縁」を結んだ時に、人は初めて「ふるさと」を自覚できるのかもしれない。仕事や家庭や趣味など、その土地に住む理由も人それぞれであるはずだ。ゆえに一人ひとりが胸の奥で考えてみよう、「わたしのふるさとはどこだろう?」と。笑顔で待っている人が思い浮かぶ場所、それがあなたの「ふるさと」であり、それはいくつあってもよいのだ。

「人は誰も愛求めて 闇に漂う運命(さだめ)」
(サザンオールスターズ『TSUNAMI』より)
人の縁であなたを包み込む場所はいつも此処にある。


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