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暗黙の了解をやめよう

2021-07-16
言わずに本当にわかっているのだろうか?
「同じです」と同調し安易で楽に寝そべる
真の理解のために質問をするということ

「きっと最後には”正解”が出される」ことを、〈教室〉で学習者は待つ。自ら地頭(じあたま)で考えることなく、〈教室〉という集団が同調する教師の言う「唯一無二」と思い込まされた「正解」を「覚えれ」ばテストの成績は上がると誤った学習観で幼少の頃から育ってしまう。たとえ「自分はそうは思わない」と意見があっても、低学年のうちは言うかもしれないが、次第に〈教室〉の同調圧力に「個性的な意見」を言うのが面倒になって無言を貫いてしまう。学習に「ワークブック」などが併用されればなおさら、そこに当て嵌められる「答え」を暗記すればテストは乗り越えられるという考え方が強化される。個々の学習者が考えず議論せず板書だけをただノートに写すだけの、「死んだような授業」が横行する。また「受験」という一発勝負に勝つことが唯一の王道だと本人は親に思い込まされ、場合によると学校の教師までも地頭で考えるよりも、「テスト対策」のみに躍起になる。なるべく無駄なことはせず、ただただ「対策」をするのが効率的な学習だという環境によって、多様で豊かな発想の授業などは「無駄」だと封印されてしまう。こうした果てにこの社会では、「暗黙の了解」ということに疑いを持たない人が育てられ続ける。

大谷翔平のMLBでの活躍を観ていると、チームメイトや相手選手との交流に豊かな姿が爽快に映る。もちろん専属日本人通訳がいるのも承知の上だが、そのコミュ力には注目したい。オールスターでも混雑した場所を通り抜けようとして報道のテレビカメラクルーにぶつかってしまうと、いったん立ち止まり「大丈夫か?」と言うように気遣う態度を取った。春先のキャンプで生の選手を観る機会も僕は多いが、日本のプロ野球選手はなかなかここまでの気遣いをする人は少ない。(まったくいないわけではないことは述べておく)自分が向き合った人がどんな関係であっても、「暗黙の了解」で済ませることはない。大谷翔平は高校時代から自らの目標を「曼荼羅チャート」に記していたことは有名だが、その中には「人間性」という点も決して欠けることはなかった。その総合的な成長の末「160㎞の速球」と記した当時の目標を、MLBオールスターで叶えている。欧米人においては誰かが〈教室〉で話したら、必ず「質問」をすることが習慣化している。なぜかその行為を「相手を批判している」と受け取る日本人は、前述した〈教室〉環境により醸成された悪弊であることに自覚的ではない。欧米人は「質問もしない人は話を聞いていなかった(理解していない)」と解し、大変に失礼な行為と考える。国会でさえ真っ当な議論が為されないのは、こうした負の教育環境と生活上の悪弊があるからではないかと最近はつくづく感じている。果たして我々は「東京五輪」に「質問」をして来たのであろうか?「暗黙の了解」のまま、開幕を1週間後に控えている。

自分が意見を言わないと自分の理解度もわからない
僕の指導教授は自らの考えへの学生の迎合を一番戒めた
世界から遅れをとっている原因を身近に考えねばなるまいと思う。


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