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恋と母親ー命をいただいた日々

2021-07-13
『伊勢物語』84段の母子贈答歌
『源氏物語』を貫く母への慕情
古典は恋と母親のことを考えさせてくれる

前期講義は合計15回のうちの13回の週に入った。1年生配当の『伊勢物語』講読のクラスでは、第84段「むかし、男ありけり。身はいやしながら、母なむ宮なりける。」の章段を扱った。男女の恋の和歌のやり取りが多い『伊勢』の中で母子の贈答歌があり、死期が近いことを悟った母親が、宮仕えに出ていてなかなか会えない息子に歌を贈るという内容である。「世の中には死という別れがあるので、今この時にこそいよいよあなたに会いたいものです」といった趣旨の母の歌に対し、息子は「世の中には死の別れなどなくなってほしいものです、母には千年でも永遠に生きて欲しいと子は願うものですから」という趣旨の歌を返す。この二首に焦点を当てて、母子相互の思いがどのようなものかをグループで対話してもらった。死への認識へのズレとか、官職に身を置いて身分もままならず、なかなか「宮(内親王)」である母親に会えない状況など、平安朝物語の読みにも慣れて来た受講生たちの意見が共有された。

『源氏物語』では、主人公たる光源氏が3歳で母親を亡くすことになるが、その後、父・桐壺帝の後妻であり亡き母に似た、義理の母たる藤壺への恋慕が止まず、思春期を過ぎた頃に密通して一夜の関係を持ってしまう。またその藤壺の姪である10歳の若紫を見出し、成長したら理想の妻となることを思い描き、囲い込んで育てて生涯に渡り「正妻格」の女性として愛し続けることになる。源氏の密通の結果、藤壺はその身に子を宿し、父の桐壺帝は自らの子どもだと思い込み、いずれ天皇となる子が育っていくという複雑な構造が物語の長編化に成功する大きな要素になっている。ここでは後の展開もさることながら、なぜ光源氏が亡き母親の面影のある藤壺や若紫を恋慕するのかという大きなテーマを考えさせられる。既に研究では、エディプスコンプレックス(「男子が、同性の親である父親を憎み、母に対して性的な思慕を抱く無意識の傾向。ギリシア神話のオイディプスにちなみ、フロイトが精神分析学の用語としたもの。デジタル大辞泉より)の指摘などが為されており、女子の場合は反転した「エレクトラコンプレックス」が精神分析では指摘される。我々、人間たるや例外なく母胎で十月十日(とつきとおか)の成長を経て、この世に生を受けることになる。それはまさに「命をいただいた日々」である。あらためてこの命の根源に関係する文学のあり方を、追究していきたいと思う今日この頃である。

親と過ごせる時間を大切に
さらには、どこかで祖母の声がする
いただいた命を生かすことが人生だ。


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