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天の河原にわれは来にけりー七夕の宵に

2021-07-08
七夕に夜空を見上げ
織姫と牽牛に想いを馳せる
「今この時を生きている!」

知人より京都銘菓の贈り物をいただき、それが七夕にちなんだものであった。何とも粋な計らいだと思いつつ礼状を送り、七夕の宵を待って開封した。上品な羊羹の上部が透明な仕立てになっており、そこに星の形が散りばめられている。まさに羊羹の上に天の河が再現されたようで、七夕へのロマンを掻き立てられた。食してそのまま本当の天の河が見たくなり、妻と青島海岸まで車を走らせた。波音に出迎えられ海岸線に出ると沖に漁火が一つ、その先に青島灯台の明滅が見えた。空を見上げると雲がやや多いのだが、想いをもって見たせいか川のように星が連なっているような流れが見て取れた。人は夜空にどんなロマンを思い描いて来たのか?時も場所も超えていま此処「青島海岸」にいる「わたしたち」、海に向かって「今だけを生きている」と思わず叫んでしまった。

七夕伝説は『万葉集』所載『柿本人麻呂歌集』などに既に見られるが、元来は大陸由来の漢籍から享受されたもの。だが大陸由来の伝説では「織姫が(輿などに乗って)渡河」するのが通例だが、和歌では「牽牛が渡河」する物語になっている違いがあり興味深い。「ひととせにひとたび」しか逢えないふたりの想い、「逢う」ということそのものが、この広い空の下では「奇跡」のような瞬きなのだとあらためて思う。星たちは数万数億年という寿命でこの地球上に光を届けているが、それにも比して僕たちの命はあまりにも儚い。その儚さを嘆いていても始まらない、いやむしろそんな時間は僕たちにないのかもしれない。そんな人間の小ささと虚しさも自覚するためにも、季節(とき)の流れを捕捉するために節句(基本的に大陸的な東アジアの発想で陽数『奇数』の重なる日付)に祈りを捧げるのであろう。生命の根源である海に向かって叫び、大空の星たちに見下ろされる。何よりこんな近いところに海があることを、僕たちは忘れてはならない。

出逢えていまがある不思議
人はどんな河を越えて生きていくのだろうか
七夕への祈りによき川の流れが見えて来た気がする。


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