決め過ぎ・ワントーン・結句の着地ー第359回心の花宮崎歌会
2021-07-05
国文祭・芸文祭開会式から一夜明け毎月1回は集まれる短歌の仲間
依然、感染対策は十二分に施しつつ
心の花宮崎歌会の月例会、出詠40首、欠席者はあるが日曜ながら多くの方々が中央公民館に集まった。会場は市立体育館に隣接しており、そこではワクチンの集団接種も行われている。歌会そのものも依然、席を囲むようには座らず講義形式で座り、歌評をする際はマイクが置かれている特定の場所で発言するような会場作りへの配慮がある。もちろんマスク・手指消毒は必須である。会員の中には医師もいらして、助言を活かした運営となっているのはありがたい。まずは少なくとも月に一度はみんなで集まれることに幸せを感じるべきなのだろう。選者は伊藤一彦先生と俵万智さん、投票した歌への各会員からの歌評ののちにお二人から評をいただき歌会は順調に進行した。以下、主に選者の歌評の気になった点を覚書とする。
【決め過ぎ】詩歌は決まりすぎると、むしろよくない場合がある。全体の表現が実に巧みで素材が光り輝くような歌、決め過ぎはむしろ虚構の味付けが濃くなってしまうのだろうか?確かにファッションでもブランド物で決め過ぎると、むしろオシャレに見えない場合がある。言語芸術の匙加減は誠に難しい。
【ワントーン】一首が「ワントーン」であるという指摘が何首かに見られた。もちろん「詰め込み過ぎ」はさらに避けるべきではあろうが、「素直過ぎる」歌には読者の目に止まる引っ掛かりがないということだろう。関連して、「字余り」の歌が散見されたが、全体の構成上の均衡があればむしろ効果的な場合があることを再確認した。
【結句の着地】例えば、結句をどうしようかと考えて「朝」などとしてしまう場合は少なくない。だが果たして一首で一番言いたいことは「朝」なのかどうか?また明らかな結論を結句で言ってしまうのもご用心。もちろんそこには、虚構の匙加減も作用する場合がある。酒量を結句とする歌があり、その分量の加減への意見が割れたのは誠に一興。これぞ心の花歌会ならではの心意気であろう。
国文祭・芸文祭みやざき2020実行委委員会会長である
伊藤一彦先生から関連したお話も
開会式で「短歌県みやざき」の存在感を天皇皇后両陛下にもお伝えすることができたかと。
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