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10%・20%でいい やりたいことをやってほしい

2021-07-03
できあがったものでないとやってはいけないのか
可能性があればまずはやってみよう
やる気ある仲間たちの楽しさ

かつてイチローがこんな趣旨のことを発言していたのを憶えている。「好きなことを仕事にしていいるのだから、こだわりがないわけはない」確かにそうだ、多くの人が「好きな野球(他のスポーツ競技でもよい)を仕事にできたら」と少年時代に一度は思うことがあるだろう。「こだわり」というと簡単な物言いだが、その境地に至るまでの苦難は想像を絶する。高卒ルーキーでオリックスに入団した時も「あの打ち方ではプロでは通用しない」と指導者に言われ、メジャーのシアトルマリナーズに入団した時も、「メジャーでは非力で通用しない」などと評論家の多くが語った。イチローはそんな酷評をすべて乗り越え、「(少年時代から)いつも人に笑われてきたのを乗り越えてここまで来た」という趣旨のことも口にしていた。イチローの生き様を思うに、少年時代に「プロ野球に入る」という志がいかに大切かがわかる。もしかすると「笑われる」発想を持つ人ほど「生きる」ことを大切にしており、イノベーションを起こすことができるのだろう。肝心なのは可能性に自ら蓋をしないことだ。こうした意味でも「好きな仕事」「好きなこと」をやるというのは、何より人生で大切なことのように思う。

最近の学生に触れて思うのは、「完璧」とか「100%」を求め過ぎるということ。これはある意味で「理想の追求」として貴重な心性であるが、例えば教育実習の例を考えてみよう。果たして教育実習において「完璧」な授業を誰が求めるのであろうか?現場の授業などというものは現職教員になっても、最低3年は混沌とした暗中模索が続くと言ってもよいだろう。そう考えると、実習生の段階では、自らが思い抱くままの授業を好きなようにすればよいのではないか。野球選手はどんなに優秀な打者でも7割の失敗を繰り返して、打率3割を成し遂げるのだ。実習は「失敗をする」ことから自らの傾向を知り、未来へ向けて実践できる契機を掴む場ではないのだろうか。その根底に「野球が好きだ」「先生(という仕事が)が好きだ」という思いがあるならばである。研究でも組織でもイノベーションを起こすには、「笑われる」ことがむしろ肝心ではないかと思うのである。だから「笑うなら笑え」と豪語できる仲間が欲しい。その仲間はもはや「仕事」などという狭量な意識を超えて、何かを楽しもうとしているのだ。

可能性は10%・20%でいい
教員も学生とともに楽しめるかどうか
少なくとも自らの行動に豊かな笑いを持てる人でありたい。


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