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「虚構」ということ

2021-07-02
「文学:芸術体系の一様式で、言語を媒介にしたもの。詩歌・小説・戯曲・随筆・評論など、作者の、主として想像力によって構築した虚構の世界を通して作者自身の思想・感情などを表現し、人間の感情や情緒に訴える芸術作品。文芸。」(『日本国語大辞典第二版』)

ゼミで「文学とは?」「虚構とは?」という対話の時間を持った。ある詩を、参加者全員で聯(れん)ごとに分担しながら2回音読した。そこから何を受け取ったか?ある者はそこに表現された「感情」を読み取り、その背景となる場面を思い浮かべた。ある者はその表現から「教訓」を読み取り、「道徳的」な側面を思い浮かべた。ある者は人間の「意識・無意識」の対比について、普遍的な「哲学」のような側面を思い浮かべた。ある者は人と人との「コミュニケーション」のあり方について身体性の問題として思い浮かべた。このように「文学」の「読み」というのは、人によって様々である。「生身の作者」については「何も知らない」上で、その詩はゼミ生の「感情や情緒に訴えた」わけである。その後に「作者については予想はしたか?」という質問に、「ほとんど作者情報は考えなかった」という者が大半であった。続けて「小中高で国語を学んできた知識から作者を当てられるか?」という質問に、「金子みすゞ」「寺山修司」あたりの名が挙がり、その後に「谷川俊太郎」とその詩の作者を答える者がいた。そんなゼミの風景であった。

冒頭に記したのは『日本国語大辞典第二版』の「文学」の項目、中でも「虚構を通して」というあたりについて、ゼミでは前述ののちの時間に大いに議論になった。「文学といっても現実を描いている場合がある。」というのが、そこに向けられた問題意識である。それは「虚構」という「思想」そのもののあり方をどう解釈しているか?という定義についての議論でもある。再び『日国』で「虚構」を引くと「文学などで、想像力によって、現実のように物語や劇を仕組むこと。つくりばなし。フィクション。」とある。日本では特に「つくりばなし」という語の趣旨に「嘘」と同義のようなものが纏わりついている。同根の問題として「想像力」への「信頼」があるのではないかとも考えた。要は「ことばで再構成」した時点で厳密には「現実」ではあり得ないわけである。映画とか舞台演劇を考えるとわかりやすい、「現実」を素材としながら言語によって「脚本化」された内容をロケや舞台で役者が演じることは「現実そのもの」ではない。そこに脚本を書いた者の「(現実への)解釈」が必ず加わり、それが「作者の思想・感情」ということになる。「現実」がどう切り取られたか?あなたもスマホで写真を撮るだろう?それは「現実か?」、あくまで「現実」を素材としてスマホという装置が切り取る再構成された画像でしかない。「虚構」は現実に限りなく近い場合もあるが、確実に「現実」とは違うのである。

「事実」とはいうが
「ある人」の「思想・感情」で切り取られている
「演劇の舞台」ということを短歌についても考えている。


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