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「かなしみ」のおくに出逢うために

2021-06-27
「かなしみ」とはどんな感情なのだろう?
「悲しみ」「哀しみ」「愛しみ」「美しみ」
「真の『かなしみ』に人は支えられている」

学生らに古典和歌の恋歌への批評を課題にすると、毎年のように「この歌はポジティブ(肯定的)」「この歌はネガティブ(否定的)」という二項対立の方法を前提に書いてあるものがあって、コメントに「?」を付けて返すことが多い。「やまとうたは人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」(『古今和歌集仮名序』)とあるように、和歌は抒情詩であるゆえに人の本来は言葉にならない部分を言語芸術として表現して見せたものである。それゆえに「AかBか?」「○か✖️か?」という二者択一の思考で考える自体が、その本質から遠い「短時間」の中でわかったような「結論」をとりあえず指標的に導くようで、文学や芸術の理解からは程遠い方法であることがわかる。例えば冒頭に記したように、「かなしみ」と言えば「否定的」な感情が表現されているだけなのであろうか?若山牧水の名歌「白鳥は哀しからずや・・・」一首を例としても、「否定的」と決めつけては名歌の名歌たる所以は一向にわからなくなる。人の人たる感情は、機械的に語ってはその奥行きを知ることはできない。

再び若松英輔『種をまく人』(2018亜紀書房)から、大きな考える契機をもらった。「それぞれのかなしみ」「かなしみのちから」といった章には、詩的に「かなしみ」のおくまでを思考するヒントが満載である。「私たちが何かをうしなって悲しむのは、それを愛しいと感じているからであり、遅れてきた「愛しみ」の情感は、真に美しいものがすでに己れのかたわらに存在していたことを告げ知らせる、という経験が籠められているのだろう。」(同書P63)とされている。まさに「悲」→「哀」→「愛」→「美」というように”やまとことば”を漢字表記した際の多義的な重層性を思考する契機が示される。さらに「離別という悲痛の経験は、誰かと、真に出会うことがなければ生まれない。誰かを愛し、互いの人生に大きな変貌をもたらしたことのない者に別れはない。別れを感じた者は、己れの人生を誇りに感じてよいのだろう。」(同書P66)とも記されている。まさに「会うは別れの始めとか、サヨナラだけが人生だ」という詩的表現をあらためて反芻させられる批評の言葉である。「出会い」があれば必ず「別れ」があるという真理に、例外な人間はいない。それゆえに、「かなしき」存在である人間は恋し愛し合い人とつながり語り合うのである。一組みの恋人・夫婦からはじまるつながりが肩寄せ合う時間、誠の「愛しみ」と「美しみ」に溢れている。

「けっして消え去ることのない
 永遠の世界での新しき邂逅の幕開けではないだろうか。」(同書P66)
僕たちは永遠の時の中で生きていられるように”コトバ”を探し続けるのであろう。


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