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ワクチンのことなど考えて

2021-06-24
「接種」はあくまで個人の判断
「ねばならない」という同調圧力の空気は?
総合的に考えて自らのリスクはどうあるのかを考える

米国の状態を傍目から見ていると、ある意味で不思議でもあり、ある意味で必然的であるように思う。昨年の感染者数拡大のスケールも大きかったが、ワクチン接種の加速感とその後の日常回復への感覚が桁違いな感を覚える。既にMLBのボールパークは人数制限なく観客を収容しており、大谷翔平がホームラン競争に出場する来月のオールスターは、たぶんまったく「普通」の日常のボールパークにて行われることになるのだろう。さらに驚くべきは、ワクチン接種をした人は「マスク着用義務がない」ということ。飲食店も通常営業を再開し、確かめてはいないが「酒類販売」もまったく問題ないはずだ。米国の「日常」の感覚ならば、ボールパークでビールなどを飲まずに観戦するのはほぼほぼあり得ないことだ。このような米国だが、そのボールパークでの酒類販売にも州によるが厳格なルールがある。酒類を公共の場で買う場合、たとえ「お婆さん・お爺さん」でもID提示がなくては買えない。「自由」を尊重する国でこそ、厳格なルールがあることを考えさせられる。

米国のあり方を盲目的に良いとばかりは思わないが、国民が自らの意志を政治に反映させ、その意志があるゆえに「政府への信頼」が生まれる。やるとなればとことんやってくれる対応に対し、国民が様々な形で意志表示ができるということが肝要なのだろう。誰でもどこでも、地下鉄の駅やボールパーク来場者もワクチン接種ができるという機動力というかカジュアル感というか、日本にはない社会的な構造と力があるのだろう。その背景に、個々の意志の責任があるのは言うまでもない。かつて知人の登山家(日本人)と海外旅行に行った際に、食事前に「除菌シート」を僕が携帯し彼に渡そうとすると「俺はいらない」と頑なに拒否されたことが記憶に刻まれている。欧州の感覚に馴染んだ彼は、「瑣末な衛生」を確保しようとする「除菌シート」を感覚として拒否したということだろう。瑣末な規律や枠組みの中で行動が制約され、どこかで個々の「良心」など精神的な部分に依存し、「みんながやれば私も」という横並び主義に動かされ、その結果の同調圧力を社会に生じさせる。世界的に見てここまでワクチン接種が遅れた理由はなんだろう?家族や自らのワクチン接種と新型コロナへのリスク回避を考え、あくまで自らの意志を大切に判断しようかと思っている今日この頃である。

社会的な現象を捉える適切な眼を
ワクチン接種をしても感染対策は十分にすべき
どんな社会でどのように生きているか?新型コロナが教えてくれていること。


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