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わたしたちはひとりじゃないー短歌と挨拶

2021-06-22
他人と道ですれ違う際に挨拶をするか?
講義で知っている学生に限らず挨拶を交わすか?
「わたし」も「あなた」も「ひとりじゃない」と思うために

いまこの文章を綴ろうとしたら、太陽が東側の窓から顔を覗かせた。敢えてブラインドを上げて太陽に「おはよう」と挨拶をすることから一日を始める。それは何も「太陽のため」であるわけでもなく、まずは地球のリズムの中で自らの身体に活動期であることを知らせる意味が大きい。この行為は一日を過ごしたのちに、就寝へと導くためにも大切であるらしく「身体の休息=良質の睡眠」に繋がるらしい。挨拶とは、巡り巡って自分にその恩恵が返ってくる重要なコミュニケーションなのだと考える一事例である。先週の日本国語教育学会西日本集会宮崎大会での広島大学・山元隆春氏の講演は、「詩歌学習というのは『わたしはひとりじゃない』ことを自覚する契機である」といった結論を導く内容であった。詳細は記さないが、詩歌を「よむ」ことで得られる「生命感」の発見における共感性と意外性を指摘したことになるだろう。和歌短歌では特に「挨拶歌」と呼ばれるものが伝統的にあり、旅の訪問や宴席の際にはコミニケーションの具として「歌をよむ」ことが少なくない。「詩歌は見知らぬあなたへの挨拶」であるといっても過言ではない。

小欄の文書を書き終えると、居住している街を高台にある公園までウォーキングするのが習慣である。その際に出会う町内の見知らぬ人にも、必ず挨拶をするようにしている。東京在住時には「そうしたくともできない」環境に置かれていたが、宮崎では「出会う人全員に挨拶」することができる。もちろん返してくれる見知らぬ人は100%ではないが、ほぼほぼ90%は挨拶が成立する。子どもらの場合、小学生はほとんど挨拶を返してくれるが、中学生・高校生になると挨拶をしなくなるのは「教室の音読」の活性化率と比例している。「本当の大人」にならないと、見知らぬ人への挨拶をするに至らないと言えるのかもしれない。また歩いていて人を追い越す際には少し会釈をするとか、刹那ではあるが小さなコミュニケーションはやがて自分に返ってくるはずだ。欧米に行った際に感じるのは、見知らぬ人のコミュ力の高さである。すれ違う・空間を共有する際には「笑顔」になるか、小さくとも「Hi!」と挨拶を多くの人がする慣習がある。書物で読んだことがあるが、それは「わたしはあなたの敵ではありません」という意志表示なのだと云う。米国などは特に差別や銃社会の問題も孕み、「わたしはあなたにとって安全です」という表示が求められるのであろう。などと諸々と考えて、町内に限らず挨拶の励行を心がける。大学内では見知らぬ先生・学生にも挨拶をしてみる。これまた東京の大学ではあり得ない返答率の高さがある。それだけに時折、東京的な態度を取られると気が滅入るのだろう。

太陽の生命感に「おはよう」
「生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける」
短歌は、挨拶は、「わたしたちはひとりじゃない」と心をあたたかくするためにある。


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