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「短歌県みやざきの授業実践」日本国語教育学会西日本集会宮崎大会

2021-06-20
短歌創作はどんな国語力を育むのか?
指導者も学習者もともに「よむ」ことで発見し合う
身体化された韻律、多作することで日常となる

標記の大会をオンラインで主催した。申込者数概ね200名、「短歌創作学習」に焦点化したシンポジウム、そして広島大学の山元隆春先生の講演「発見の契機としての詩歌学習」という内容で約4時間のプログラム。オンライン機器や通信の大きなトラブルもなく、成功裏に大会を終えることができた。視聴いただいた全ての視聴者の方々と、この形式・内容の開催にご理解・ご協力いただいた多くの関係する先生方、学会事務局に対してあらためて感謝の意を表したい。これまでの西日本集会では終日の予定で「分科会」と「ワークショップ」か「公開授業」に「講演2本」などが通例であった。今回は「短歌創作で響き合う主体的対話的な深い学び」をテーマに掲げ、地元「みやざき」でこそ開催できる内容を精選した大会とした。参加した先生方からも「焦点が絞れてよかった」、「短歌だけのシンポジウムは珍しい」と言った讃辞をちょうだいし、「(45回を数える)西日本集会の本来の姿」ではないかという原点回帰への評価もいただく結果となった。

実践報告は各学校種から1本ずつ計3本、県立宮崎海洋高等学校の「長期乗船実習」に取材した短歌創作授業。宮崎大学教育学部附属中学校の「立志式」という学校行事と連携しキャリア教育も意図した短歌創作による決意表明。そして若山牧水の母校・日向市立坪谷小学校の朗詠を基盤に据えた短歌創作活動の実践・以上のような内容で各20分の発表の後、宮崎在住の俵万智さんを交えてその実践内容や短歌への批評を中心にした対話を展開した。乗船実習という素材を短歌にするまでの工夫、ワークシートなどの綿密さが導く部分もあるが、短歌を難しい「お勉強」のようにはしない方が良いという考え方も。「決意表明」は往々にして標語のような観念的な短歌になりがちだが、具体的な日常の光景を決意の具体として表現することができるか?正岡子規の歌を教材とする中で「病が苦しい」と詠むのではなく、「庭の具体的な植物を詠むことで自らの生命を対置する思いが読める」という読みを応用すれば、短歌創作への見方が育てられるという俵さんの卓見は大きな収穫であった。また毎日登校時に学校玄関で朗詠を続ける坪谷小学校の児童たちの身体化された圧倒的な韻律感と、多作をしていることの効用には大きな注目が集まった。総評として「歌は響き合うもの」ということが挙げられようか。学習者と指導者が分け隔てなく日常生活を丁寧に過ごし、言葉に敏感になり臆せず三十一文字に表現する。そこに生ずる「生命の響き合い」によって、「自分は一人ではない」と実感できる文芸であることを再認識したシンポジウムとなった。


短歌に偏見を持たず生きた言語活動として欠かせない要素を引き出そう
「できない」のではなく「表現しない」だけ。
短歌を創れば今日から生き方が変わるはずだ。


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