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監視・管理は豊かな創発を生み出さない

2021-06-17
「授業」における監視・管理は仕方ないのか?
抑制された身体・思考での音読・感想文・文法
この国の「豊かさ」を取り戻すためには・・・

「国語」授業で嫌だったことを学生らに問うと、「音読・感想文・古典文法(暗記)」などが挙げ列ねられる。しかしよくよく考えてみると、やり方次第で豊かに実践できる内容ばかりである。創造的な「音読」、創発的な「感想文」、読解の欲求を得たのちの「(活用できる)文法学習」とすれば、学習者はかなり主体的に学びは豊かになるはずだ。それがわかっていながら、なぜ学校の「授業」は創発的にならないのだろう?考えるにそれは「監視・管理・一律・一斉」などを旨とする集団教授の幻想から、授業者が抜け出せないからではないか。「集団」を監視・管理することが重要であり、個々の思考や多様性が踏み躙られる。「自由」をひとたび与えてしまうと「収拾がつかなくなる」と考えて、授業者が「管理」できる範囲に押し込めておくので創発的な要素まで萎縮させてしまう。「先生」の考えに「反する」のを嫌い、「先生」の個の考え方を「正解」として押し付け、隷属的な支配をすることで「授業(あるいは学級)」をまとめた”ように”見せかけるために権威的になる。「音読・感想文・文法」はこうした構造で押し付けられる。

内田樹氏がTwitterに「人は管理されていない方があらゆる領域で創発的になる。」と記していた。そして現在の「日本の没落」こそが「監視と管理を最優先する政治」だからであると云うのだ。「1966年から70年の日本は大学は全共闘運動でカオス状態」であるとして、多様性のある社会こそが「平均10.9%という驚異的な成長率を記録」したのだと続ける。「昭和がよかった」という時にそれは単純な懐古的な発想ではなく、混沌とした多様性と自由を求める市民の主体性があってこそ、むしろ権力側を監視することができて均衡が取れた力のある創発社会であったということだろう。若者に活力があるのも主体性があり政治に関心が深いのも、混沌とした多様社会で自由に泳げる豊かさがあるからなのだ。標語の上では「多様性」を求めながら、むしろ監視・管理を強める社会こそが、若者の活力を去勢し本来は底知れぬ力を表面化させず内に籠らせてしまう。その結果、周囲が「思いもよらなかった」とする事件などとして暴発してしまう。創発への豊かなアプローチができない若者を批判する前に、こんな監視・管理社会を作っていることを恥ずべきだろう。

内田樹氏の「予言しますけど・・・
日本の没落は終わりませんよ。」
身近な講義をまずは創発的にするために力を尽くそう。


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