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〈話す 聞く〉から学びは動く

2021-06-08
学ぶ者は互いの言葉に学びあり
〈話す 聞く〉はかけ離れ難く一体の活動
「よく聞かない」人に話し上手はいない

授業・講義の方法を「主体的に」と言われてから久しい。「アクティブラーニング」だとか「対話的活動」だとか、派生的に同じ方向性を示した物言いである。「学び」は「学ぶ者」が相互の〈話す 聞く〉の活動の中から主体的に自ら見つけ出すものである。しかし今尚、「集団一斉教授」という〈教室〉の形式はそう簡単には改まらないようだ。その上、新型コロナ以後の「飛沫防止」という規制がかかって、なおさら対面であっても距離をとって隔絶した場所から指導者が一方的に話し続けるという形式に拘泥しなければならないかのように見える。努力して構築している「オンライン講義」の内容そのものも、そう易々と「学習者主体」を叶えるのは難しい。ある意味で「一斉教授」方式は、工夫なく「やってる感」だけをなし得ることができ、授業者として極めて「楽」である。だが優れた授業者は違う、たとえ一方的に話していたとしても聞く者の「思考」を動かす工夫があるということを忘れるべきではない。

同じ立場から同系統の主張を、同じ声で同じトーンで同じ速度で語られ続けたとしよう。「聞く側」の集中が持つのは、せいぜい10分程度であろう。小さな子どもらでも完結するまで飽きずに観ることができる「サザエさん」や「ちびまる子ちゃん」の一話分の時間には必然的な意味がある。その反面、幼少の頃に長いドラマや映画に飽きてしまった経験はないだろうか。固着した形態が長く続くというのは、誰しもが必ず飽和状態を迎えるだろう。ということをわかってか?無自覚なのか?教育の場での話は往々にして無駄に「長い」のである。「説明」の要素があるものは書物からでも自ら学べる、しかし〈話す 聞く〉から学びを喚起することは〈教室〉でしかできない。他者の意外な発想に刺激を受けたり、賛同も反発もある多様な意見を〈話す 聞く〉ことで学びは醸成される。嘗て「スタンフォード白熱教室」という番組があって、米国スタンフォード大学の学生たちが極めて活動的に学ぶ姿が映し出されていた。彼らの〈話す 聞く〉の映像を観ることで僕らは多くを学べた。あくまで学習者の創造的思考が動き発見があるか?そこが肝心要なのである。

いつまでも〈話す 聞く〉を奪われていてはならない
オンラインを含めて学習者の〈話す 聞く〉時間を確保する
「思考」の原点はそこにあり、よって人間は言葉を失っては生きていけないのである。


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