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わが街の見守ろうとする視線

2021-05-23
街の馴染みのお店の真心
家族のように見守る視線
心が通じ合う街のあり方

大学時代を思い返すと、キャンパス周辺に何軒かの馴染みのお店があった。所謂ランチ営業をしている喫茶店のおばちゃんは、いつも「元気なの?」とか「勉強してる?」とか声をかけてくれ、進路のこととか彼女のことまで親身に心配してくれていた。ゆえに週に2度3度は顔を出し、お互いが安心するような関係であった。したがってついつい滞在時間が長くなり、レポートをそのお店で当時は手書きゆえに仕上げることもしばしばだった。こうした大学周辺の個人営業店が厳しくなったのは、2000年に近づいた頃からだろうか。ファーストフードやコンビニの進出によって、学生が嘗ての僕のような関係をお店と結ぶことが少なくなったのが大きな要因であった。それからさらに20年、新型コロナ禍によってこうした大学街の「文化」は風前の灯火だと聞く。

現在住んでいる街に、こうしたお店は少ないが馴染みがないわけではない。単に「食事に行く」のではなく、相互に「近況はどうですか?」といった気持ちが強いお店。そんな仲であるお店の1軒に、ご夫婦で個人経営のパン屋さんがある。週末に足を運ぶと、あれこれと近況を話し合うのが通例となった。母も気に入ってこのお店に通っているのだが、奥さんは「お母さんの姿を見ると安心する」と言ってくれる。ただ単に自家製のパンを気に入っている関係のみならず、こうした「見守ろうとする視線」を持っていただけるのはありがたい。ついついこちらも先方の「お子さんはどんなですか?」などと気になってくる。このようなお店との関係性は、「昭和の商店街」では通常の姿であった。どこかお互いが「助け合う」という気持ちがあった。しかし、前述した大学街での図式と同じように、「世間話などできないコンビニ」が街の主役になってしまった。新型コロナによる社会の閉塞感はウイルスそのものよりも「我々がどう生きているか」を炙り出し、そこに「世知辛さ」を感じることが多いのかもしれない。ワクチン接種にあたり、「かかりつけ医」があるかどうか?もその一事例と思う。

人と人が繋がれる街
「あの人はどうしているか?」と声をかけたくなる街
社会がどうのと言うのなら、まず自分自身がそのように生きてみよう。


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