その話!伝わっていますか?ーオンラインの独善
2021-05-20
伝えることは難しい「独善的」であることに独善的に気づかない
オンラインの向こうならなおさら
オンライン講義をやっていて一番気になることは、画面の向こう側の学生がどのように聴いているか?という疑問である。まずは大前提として「自分の声が正常に聞こえているか?」すら確証がないのである。オンラインを開始して最初に「聞こえてますか?」という確認をするのは常識的だが、重ねて共有資料が「見えているか」とか「頁が適切に送られているか?」など、こちら側で操作することが順調かどうかの確証がないのがオンラインの「独善性」のような要素である。ある大学による全国の大学教員を対象としたアンケート調査によれば、「オンラインで顔出しを要求して応じた学生の割合」は極めて低い数字であることも話題になっている。カメラのオフを解除して自分の顔をオンライン上に出すことが、学生らの間では「常識」ではない。もちろん「顔出し」を強制できるものではない、という議論も喧しい。
学生らの「表情」という情報がないことが、「聞こえてますか?」という問い掛けの「独善性」を助長する。「対面」であることの効用は、学生の数だけ「表情」という情報があることだったのだと今更ながら気づかされる。ゆえに「オンライン」と「対面」が「全く変わらない」と学生が感想を持ったとしよう、それは真性の「独善」であると思った方がよい。また「オンライン」では伝達者の情報も限られるため、話し手の特性があからさまに露呈する。言い換えれば個々の「独善率」が、明確になるとも言えるだろう。話し手は、聞く側の「わからない」とか「そんなことは言わないで欲しい」という表情を知ることはない。ましてや「不快極まりない」表情を察知することもない。特に資料を画面共有して、話し手みずからがその資料を見て話している際が一番危うい。というような体験を、誰しもができるようになった。テレビ出演し視聴者に向けて説得力のある話をできる人々を、最近はあらためて見習うべきと思う視点を持つようになった。
「独善」とは「客観性がなく自分だけが正しいと考えること」
本来「善」たるはいつも相対的なものである
中高教員以上に大学教員は「独善率」が高いと思うのだが、いかがであろうか?
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