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本当にそうなのか?という視点を

2021-05-08
公人の言葉に信用がなくなった時代
「学校」で習ったとはいっても果たして
文学史から学ぶ批評の視点

新型コロナ禍に遭遇した今を生きていることは、歴史的に特異な時代を生きていることになるのだろう。世界的なパンデミックという意味では、約100年前の「スペイン風邪」以来。「禍」と呼ばれるものには、「人災」もあれば「天災」もある。元来、「禍」の字源には「神のとがめ・神のくだすわざわい」の意味がある。ウイルスの世界的流行は、「天災」としか考えようがないかもしれない。しかし、その災禍にどう向き合うか?においては「人災」と思えてしまう側面があるのも否めない。後者の度合いは「国」によって大きく異なり、この1年で「自国が自分に何をしてくれるのか」が多くの国で明らかになった。言い方を換えれば、「国はどんな視線であるか」であり「国民はどう反応するか」でもある。

日本文学史(上代・中古)配当学年1年生の講義を担当しているが、学生の記す講義レポートを読んでいると、高校までの学習で多くの「思い込み」をしている実態に気づく。和歌を「一句」と呼ぶことはもとより、「女々しい」という形容を使用する場合の意識、天皇という存在に対する考え方、等々、視野を拡げて捉え直して欲しいことがたくさんある。特に「男・女」という問題については依然根強い旧態な発想も多々あって、今年になって公人が見境ない問題発言をするまでもなく、世界的な「男女」感覚の後進国であることが痛切に感じられてしまう。古代の和歌創作が縦横無尽に性差も超えて、他者の立場を演じる表現があることへ視点を向けて欲しい。『万葉集』が「国民的歌集」だという誤った認識からして、偏った近現代によって塗り固められたことに気づく意識。教員養成だからこそ、そんな広範な視野をもつ学生をせめて育てたいと思う。

「言葉」の信頼を取り戻すためには
僕ら大学教員も含めて簡単に信用しない批評性
差し向けられる「言葉」にまずは「本当にそうなのか?」という視線を。


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